「電気」というくくりの仲間にメールを送るとき、自分だけの個人的流行りで、出だしに『電気ですか?』と書いていたことがある。
電機メーカーの電池製造部に所属する人たちは日常的に、『電池ですか?』とあいさつを交わしているかも知れない。
昨日のギャグ、運動選手愛用の湿布はスポーツマンシップ・・も、湿布メーカーでは使い古されたギャグだろう。
そんなことではなく、画像の使い古された電池は、ある施設に行き何となくドラム缶内を見下ろして撮ったもの。
少しは電気が残っているものもあるだろうし、雨ざらしのドラム缶の中に集められて、どんな迷走電流が発生しているのだろう。
小さく爆発したりすることはあり得ないのか?
新品の時に直列にしたら、高圧電流を起こすことだって可能な大量の廃棄電池に使い捨て文化の象徴を見たような気がした。
子供時分には使い古し電池を石垣にぶつけ石で潰し、周囲の鉛を剥き、黒鉛棒を取り出した。
そんなことを想い出しつつ福島のメルトダウンした燃料棒のことを、全くの部外者が憂える。
全くの部外者と書いたけれど、始めから見切り発車の原発そのものが人類のお荷物でしかないことが理解され始めたいま、人間一人一人が当事者なのだろう。
メルトダウンということが騒がれて、一般的に知れ渡ったけれど、メルト・ダウンは短い時間で、メルトスルー、メルトアウトへと進んでいるようだ。
つまり、溶けた燃料棒は全てを高温で溶かし突き破って土に達しているということのようだから、放射能汚染は今後もどうなるか、どう広がるのか予断を許さないということらしい。
ここまで書いてしまうと、電池ですか?なんて軽口を叩けなくなる。
チャイナシンドロームというギャグも最近知ったのだけれど、日本にいながら無関心にもほどがあると言われても仕方ない。