鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

ざんねんなベニシジミ

2020年05月16日 03時03分03秒 | ざんねん


どうしたら、こんな薄汚れた姿になってしまうのだろう。
翅が破れているわけではないから、ツバメやヒヨドリに襲われたのではなさそうだ。
蜘蛛の巣にかかったけれど、なんとか振りほどいたという姿にも思えない。
なかなかスマホなんかで撮れる蝶ではないのに、じっとして飛び立つことがなかったのは、何らかのダメージがあるはず。
ベニシジミというくらいだから、紅に近い鮮やか模様で、銀鼠もすっきりと渋いのが普通。
丸い斑点以外にも炭の粉をばらまいたような点々があるのは珍しいかもしれないけれど美しくない。
こんな模様傾向がウチの近所のベニシジミの特徴だろうか。
蝶の収集では、わざわざ翅がボロボロに破れたのを珍重する集め方もあるそうだから、この不細工ベニシジミも価値があるかもしれない。
翅をボロボロにするのは、人為的にいくらでもしようと思えばできるわけだけれど、そこは性善説に基づいた約束でズルはしないのだろう。
ズルといえば、神の手を持つと言われた遺跡発掘研究者のインチキが話題になったことがあった。
収集癖というほどの没入ができなくて、好奇心があるだけの浅い趣味人なので、画像を撮るにとどめる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後遺症・・・その10

2020年05月15日 00時39分00秒 | 健康ネタ


散歩中に見た、桃のような薔薇。

わずか10g~20gの臓器=甲状腺でも、全摘してしまったからには、今後一生甲状腺ホルモンとビタミンDとカルシウム剤を飲み続けなければならない。
たすかるのは、薬が一般的で非常に安いということ。
大手酒造会社数社が高濃度アルコールを製造販売するそうだ。
『飲用不可』というラベルを付けるなどの条件を満たせば、酒税を免れるのだとか。
すると安価で出回り、消毒用アルコール不足が解消されるのだろうけれど、アルコール依存を助長しそう。
かなり前のことだが、毎日昼に行く飯屋に、コップ一杯の酒だけを頼んで椅子に座ることなく、キューっと一気飲みして帰る中年男がいた。
「働きもせんと・・」などとおかみさんがブツブツ言いながら一升瓶から注ぎ、聞き流しながら彼は飲み干して、プイと出て行くのであった。
親戚でもなんでもないらしいけれど、その一瞬のやりとりが彼には嬉しかったのかもしれない。
閑話休題。
触覚の違和感は、左側頭部のタンコブ感もそうだし、首の右側半分もそうなのだが、右鎖骨の下側(乳の上)にも、かなりの違和感がある。
おそらく、それらは担当女医が言うように、神経が傷つけられたからに違いないのだけれど、こんなにも症状として現れるのかと驚くばかりだ。
ノドの絞られ感も相変わらずで、ときどき自分の声ではない声になる。
これは、縫い付けた糸が溶けていく3ヶ月を待たないと治らないのか、あるとき急に改善するのか。
日にち薬にしても、これほどしんどいとは、なさけない。
やはり何本か大事な神経を傷つけられてしまっている。
医師にすれば想定内のことかもしれないけれど、迂闊にも、患者の私にしてみれば想定外の後遺症だ。
仕方ないので自分の手でさすりながら治していくしかないようだ。
『手当て』という言葉は医術の基本なのだと聞いたことがある。
まずは患部に手を当てることだというのだ。
人の手は大きな力を秘めていて、当てるだけで症状が改善することもあるそうで。
そういう力を持った看護婦さんがいて、枯れそうな花に手を当ててみるみるうちに花が生き生きとしたと真剣に話す人がいて、『マユツバを・・こいつ変』と思ったものだった。
ハンド・パワーのMr.マリックがテレビに出てくるより前の話。
身体は低体温気味でも、私の手は実際のところいつも温かいので、さすって治すしかないか、傷ついた獣が傷を舐めて治すように。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後遺症・・・その9

2020年05月14日 05時58分58秒 | 健康ネタ


枯れ始めても、こんなにも華やかなツツジがあるのかと、散歩途中に目の保養。

退院して3週間になろうとしているが、体温が36度台は1、2回。
風邪を引きやすい体質ではなかったけれど、歳とるにつれてよく風邪を引く。
寒気は首元に感じることが多くて、風邪を引くのは首からというイメージがあった。
入院してから手術までは、空調に馴染めず、寒いので靴下をはき、タオルを首に巻いて寝ていた。
ところが、術後には寒気を感じることがなくて意外だった。
前あきの衣服を用意するようにとの注意書きを読み飛ばしていて、レンタルパジャマの下にシャツを着るには、ドレン・チューブがあるから、前あきでなければダメと術後にようやく理解した。
大人用のそんな下着は、介護用品店で売ってるのかな。
薄いパジャマ1枚だけだから首に寒さを感じるはずなのに、術後は感じない。
触ってみると、それもそのはず、傷周辺の触覚が無かったり曖昧になっているのだから寒さも感じなくて、首から風邪を引く気がしない。
それで、体温は手術直後こそ36度台になっていたけれど、すぐ35度台に下がり、最近は35度台前半になった。
低体温気味になったのは、後遺症と言えるのかもしれない。
低体温は代謝も悪くなるし、免疫機能も落ちるのだから由々しきことだ。
それで、新陳代謝を高めよう、血の巡りを良くしようと散歩なんぞにでると、首の傷とは関係あるかどうかわからないけれど、マスクなんかやっていられたものじゃない。
数分でマスクの部分は汗だくで暑苦しくて熱中症になりそうになる。
マスクはポケットに入れたまま、他人とすれ違うときはうつむいて距離をとる。
私にすれば、安全な病院に隔離されてきて、手術後の病み上がりだからこそ、コロナ・ウィルスの気は全くないわけで、他人から伝染されないように距離をとるのだ。
マスクを付けないのは、熱中症になるのを防ぐためであり、汗をかいて風邪を引くのを防ぐためでもある。
低体温のクールなジジイは、団地内の道路やちょっとした公園内で、はしゃぎ回っている子供たちにも近づかないほうが無難かもしれない。
とか言いつつ、私はすでに早い時期にコロナ・ウィルスに感染して抗体ができているのではないかと疑っているというのか、期待している。
ただいま体温を測ったところ、久々に体温が高くて、35度9分もある。
昨日まで3日連続のウォーキング5000歩以上が効いてきているのかもしれない。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後遺症・・・その8

2020年05月13日 00時02分34秒 | 健康ネタ

キャンドルのようなゲンノショウコの種。

ノドを切った傷跡は、長さ20センチほど、首飾りのようにぐるりと盛り上がっている。
後遺症・・・その1で『見た目も触った感じもヒモを埋め込んだような状態になっている』と書いたのだけれど、その時からほとんど変化はない。
私は丸薬などを丸呑みするのは昔から得意で、正露丸でさえわずかな水でゴクンと、つかえることなく飲み込めた。
ところが、この手術以後、食べものを飲み込むのでさえ意識して強くゴクンとやらなければ胃に落ちない。
首輪をはめられているような気分で、深呼吸するときでさえノドに締めつけられ感がある。
傷跡は実際に首輪みたいなものなので、孫悟空の金輪のように呪文で締めつけられるなら私はあっけなく意のままに操られるはず。
それはともかく常に、首が締めつけられていたり、顔を上向きにできなかったり、飲み込みにくかったり、息苦しかったりというのは、かなりしんどい。
眠って覚めたら良くなっていないだろうかという気持ちに傾いて、何も手につかず、寝てばかりいる。
良い点は、逆流性食道炎気味で胸焼けすることが多かったのに、寝転んでばかりでも、ノドが締めつけられているから胃液の逆流がしにくいのか、胸焼けがない。
ゲップでさえ、しにくくて、ノドに滞留している状態だ。
患者の予後に気を配った縫合の名手といった熟練テクニシャンに当たらなかったからだろうと不運を嘆く今日この頃。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後遺症・・・その7

2020年05月12日 08時44分44秒 | 健康ネタ

近くの山中で見た藪椿。

ほぼ治ってきてから書くのは不本意だけれど、一応書き留めておきたいことがある。
5/2の『術後の食事』で、【口が思うように開かないのだ。大きく開けようとすると途中でカクンとなり違和感がある。半開きの口に食べものを押し込むようにして食べている自分がみじめだと思った。】と書いた。
これをいつもの女医に言うと、「気管挿管しましたからねぇ」と気の毒そうに言う。
テレビドラマの救急医療シーンによく出てくる、くの字型のバールのような器具を思い出した。
うかつにも、全身麻酔で手術をするという事の重大さを、分かっているような顔をして、じつは分かっていなかった。
私は自発呼吸が止まり、手術中は機械によって生かされていたのだ。
気道確保する道具を使って口をこじ開けるとき、顎のちょうつがいに負担がかかったからだろうということか。
関西のお笑い系が言うように『どないしてくれんねん・・責任者でてこい・・』という気分ではあっても、食えないことはなかったのだから、『そうですか』と黙るしかない。
大口を開ける途中で、少し力を入れないと開かない。
噛む力も持久力が急に落ちたのか、噛むのが疲れてしまう。
そうなると、病院の食事なんぞは苦役のようなものだ。
同室の元気な一人は、しょっちゅう院内のコンビニへ弁当を買いに行っていたようだし、奥さんからの差し入れも食べているようだった。
私はそういう贅沢をする立場にはないので、病院食をありがたく完食することを当然と思っていたけれど、術後は食事がしんどくなった。
気持ちよく自由に咀嚼して食えないと、ゴハンはまずく感じる。
しょせん病院食だからとはいうものの、この私でさえゴハンをまずく感じるようになるのだ。
その後は、毎食、汁物があればご飯にかけ、汁物とはいえないものでも汁気があれば、ぶっかけてスルスルと噛まずに流し込むようになった。
パック・ジュースなんぞが付いていて汁気がないときに、これだけは忘れないで持ってきて欲しいとリクエストした永谷園のお茶漬けの素が役立った。
病棟のホールには大型の給湯器が設置されてあり、ほぼ100度ではないかと思われる熱湯を水筒に入れていつでも使えたから。
退院してからは、我が家は玄米食なので、よく噛まないといけない。
玄米を食べ始めると玄米の甘さがこたえられなくて癖になる。
顎のリハビリとしては、毎日の玄米の咀嚼が良かったのだろう。
今は大きく口を開けることもできるようになった。
術後3週間あまり経て、ほぼ元どおりになった一次的後遺症。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後遺症・・・その6

2020年05月11日 05時53分53秒 | 健康ネタ


術後4日目くらいだろうか、左手が痺れた。
毎日「手に痺れはないですか」と聞かれていたから、期待に応えられた気がした。
いつもの女医に伝えたら、「お薬をすぐ出しますね」と言われる。
ナースがすぐに持ってきたのは、毎朝1回飲むようにと渡されている中の乳酸カルシウム末1gと全く同じもの。
つまり、甲状腺を摘出したことにより、血中にカルシウムが不足して手が痺れたという事らしい。
飲んだらすぐにあっけなく痺れは治ってしまった。
数時間後にまたやってきた女医にどれくらいで治ったか聞かれて、15分くらいで治った気がすると応えた。
そうしたら「症状があったら、頓服ですからその都度飲んでください」と言う。
その2日後くらいにまた左手が痺れたので、薬を飲み、又すぐに治った。
先輩格女医がやってきた時にも、同様に聞かれてその顛末は伝えたのだけれど、「ツッパルような感じはないですか」とも聞かれる。
言われてみれば、ベッドの上でくしゃくしゃになった毛布を足だけを使って直そうとしていた時に、足がツリそうになったことがあった。
それを伝えたけれど、『あーふんふん』でスルーされてしまった。
その後、また左手が少し痺れたことがあって、そこで本当の原因がわかった。
ベッドをまたぐテーブルにノートパソコンを置いていてネットをしたりブログを書いたりするのだが、そのテーブルは多少何かがこぼれてもいいようになのか、縁取りが高くなっている。
集中してパソコンに向かっている時に、左手手首が縁に圧迫されて血流が止まり気味になり、痺れたのではないかと気づいた。
採血しての結果でも血中カルシウムの値は正常だそうで、私の痺れ申告はほぼ虚偽であったと密かに納得した。
新米と先輩の二人の女医はどのように、私の申告と数値の折り合いをつけていたのだろう。
痺れはテーブルの縁が原因だったようだ、とは言えないまま、頓服薬もかなりの量をもらったまま退院となった。
すみません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後遺症・・・その5

2020年05月10日 00時27分27秒 | 健康ネタ

森の倒木とウラジロ。

術後3日目だったと思うのだが、右腕が横からも前からも肩までしか上がらないことに気づいた。
毎朝やってくる若い女医に言うと、しばらくしてもう一人の先輩格担当医を連れてきた。
私がベッドから降りて左右の腕の上げ下げの違いを見せたら、「ではベッドに寝てやってみてください」と言う。
指示通りやってみれば、寝ると両腕の万歳が普通にできるのだ。
それで『ふむふむ』という顔をしたから、こちらとしては、なんだか拍子抜けしてがっかり。
「お薬をすぐ出しますね」で、終わり。
この先輩女医は、いつもの若手女医が私の鼻から内視鏡を入れる時も付き添っていて「はい・・そうそう・・ゆっくり・・そこで止めて・・これ撮しておこうか」などと言う。
指導役と初心者生徒のペア。
つまり、私は若い女医の初めての患者ではないのか。
ドレン・チューブを抜くときなんか、「こう、ここらあたりまで入っているから、こっち側にゆっくり引いて・・」と指図する。
やっぱり初めてのことばかりやってるんだな・・と、少し不安を感じたりしながらも身を任せる。
後進の指導をする医術の現場に、私は模範的患者の協力者として立ち会っているのだ。
ドレン・チューブは、4日目の1本目がほとんど痛みなく抜けたのに、5日目の2本目はピリッとした痛みを感じたので「痛い」と私は言った。
でも、「あー痛いですねー」とシンクロしつつ、1回目で自信をつけた新米は、慎重に抜き終えた。
医療技術習得は患者との共同作業だ・・と、こちらも見守り側の気分。
私の腕が上がらなくなったことへの処方薬はメチコバール錠500μgとアデホスコーワ顆粒10%。
前者は傷ついた末梢神経を修復して痺れ、痛みなどを改善するというもの。
後者は血管拡張と頭部外傷後遺症に効くそうで、頭のタンコブ症状の為のようだ。
両方とも朝昼晩と摂るようになっていて、腕の方は8割がた改善したが、左側頭部は半減ほども治っていない。
あと2日間分しか残っていないが、朝昼晩と真面目に飲むのは面倒なので、もう日にち薬でいい。
朝だけずっと飲み続けることになる薬は、カルフィーナ錠1.0μg3錠と、乳酸カルシウム末1gと、チラーヂンS錠50μg2錠。
これはたぶんずっと飲み続けないといけないのだろう。
一つの臓器を全摘するということは、その欠落を償う又は補うという後遺症を持つことだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスクが必要な人と不要な人

2020年05月09日 02時54分15秒 | 日記

先日、山を徘徊して送電線鉄塔の下にて一休み。クマバチがホバリングしていた。

退院して10日目の昨日と今日と、病院に行ってきた。
昨日は術後の経過診断と血液検査結果を聞く為。
今日は、念のためにやったほうが良いだろうと言われている放射性ヨード治療の申し込みと説明を聞く為。
入院前と今現在とは、病院の景色が変わったような気がする。
病院内にいるすべての人がマスクを着用しているのは変わらないが、それに加えてカウンターの向こうで患者や外来者の応対をする人たちの半数はフェイスシールドもしている。
私の行く棟の入り口では、アンケート用紙を渡されて最近の体調を記入しなければならず、体温は最新機器で耳のあたりに向けて測る。
病院内でも3歳くらいの子どもがマスクを着けずに、母親の周りをうろちょろしているシーンは2、3見られた。
そんな子を見ると、なんだかホッとするものがある。
病院に決してコロナ・ウィルスを持ち込ませないという決意のようなものはわかる。
でも、病院内で働く多くの若いスタッフの中には、無症状無自覚のままいつの間にかコロナ・ウィルスに感染して抗体ができている人たちも多く存在するのではないか。
病院内だけではなく、もちろん外を歩く人もほとんどはマスクを着けている。
マスク姿でジョギングしている人すらいる。
私は一人で車を運転して病院に行き、車内ではマスクをしない。
すれ違う車を見れば、半数以上の運転手がマスクをしているのは不思議な光景だ。
『・・人口の60%以上が抗体を持つようになると集団免疫が形成される・・・米独よ
り1か月早くコロナ感染が始まった日本や韓国では、すでに40%ぐらいの人が抗
体を持っているのでないか。集団免疫まであと一歩ということになる・・』という記述を田中宇の国際ニュース解説 で読んだ。
悲観的な数値ばかり強調していたマスコミも、ここにきて下降数字を上げるようになり、「でも気を緩めてはいけない」とテレビに出てくる首長が言う。
マスクがなぜか急激に出回る気配を見せて、車を運転していても、何十枚入りか箱買いマスクの入ったレジ袋を持つ通行人を何人か見た。
毎日違ったマスクで、先日はペイズリー柄まで見せてくれた小池都知事の昨日のマスクは、無地だったけれどワンポイントの刺繍が施されていた。
意固地になって小さなアベノマスクを掛け続ける首相と対のユーモアなのかなんなのか、珍現象として楽しませてくれる。
花粉症で洟水がズルズル出るのを隠す必要のある人や、医療従事者や衛生管理の必要な人たちはマスクが必要だけれど、じつは不要な人も皆がマスクをしている。
素顔の付き合いというのか、顔を隠さないで良いはずの人がマスクを着けさせられることのない現実はいつやってくるのか、待ち遠しい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後遺症・・・その4

2020年05月08日 00時30分00秒 | 健康ネタ

病院内のコンビニに出かけ、病院食の合間に小さなぜいたく。
備え付けの小さな冷蔵庫には冷凍室がなくて、半日入れっぱなしにしたらアイスクリームが残念なことになっていた。

その2に『左側頭部は何かにぶつけてしまったような、触ると痛い部分が直径5センチくらいあって、術後2週間近く経ったのに治らない』と書いた。
それが気になって仕方ない。
入院中、ナースにそれを伝えたら、「柵にぶつけませんでした?」と言う。
「そんなことだったら気づくはずだし、そういうことはない・・」と言っても、「枕の縁にずっと頭を当て続けたら、そうなるかも・・」などと言って取り合おうとしない。
で、いつもの若い女医ではなく、先輩格の女医に言うと、私の頭をまさぐって調べ、「たんこぶはできてませんね」と、これも問題視しない。
私を担当する医師は、主治医以外の担当医師3人がすべて若い女医なので気持ち的にはジョイフル。
側頭部の状態は何日も同じなので、今度は毎朝やってくるいつもの女医に言うと、『頭の中ではなくて表面なんですよね・・』と言いつつ調べて『赤いブツブツがあれば帯状疱疹かもしれないんですけど・・』などと言う。
『帯状疱疹って言えば、ヘルペスのこと?』と聞けば、『はい』と頷くので、『そのケはないと思うんだけど・・』『でもそうなったら科が違ってくるね?』と言うと、『そうなんです耳鼻科ではないですよね』てな応え。
最終的には、患者自身の表現力と想像力に任せられる程度の不具合という格好だ。
私にすれば、手術によって、こうなった後遺症という確信がある。
首を20センチも切って、まくり上げて甲状腺全摘術とリンパ郭清術をやったときに神経が切れたか妙なバイパスが出来てショートしたような不具合が起きたに違いないというイメージ。
「神経は切れたら元に戻らないけれど、手術時に傷付いたという可能性はある・・」とも言うので、その辺りで妥協納得のフリをするしかない。
いまだに、タンコブがなくてもタンコブの痛さを感じる左側頭部は、ときどき気になって少し不安を覚える後遺症。
医師が気に留めなくても、患者が気にする後遺症というものもあるのだ。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後遺症・・・その3

2020年05月07日 00時05分55秒 | 健康ネタ

首元両側からでているドレン・チューブは術後4日目と5日目に1本ずつ外してもらった。

思いつくままで順序がバラバラになってしまうけれど、術後最初の最悪の夜を経てから一番に気づいた後遺症は、首に力が入らないことだった。
頭を支えているのだから、誰にでも首の筋肉はそれなりに付いているはずで、普段は意識しない。
今回の術後は、起き上がる時に電動ベッドの背を30度くらい上げてからでないと首の傷が痛んだ。
しかも手を後頭部にあてがい、上半身の動きに合わせて手で頭を持ち上げてやらないといけない。
身体を持ち上げるときは、そうやれば良いし、少しひねり気味にしたら楽にできると分かった。
ところが、逆に上半身を倒して寝る時が困る。
ついつい何も意識せずに上半身を後ろに倒したら、頭の重さを支えきれなくて、ドスンと頭が落ちる。
ベッドでなかったら、エライことになる後頭部の強打だ。
傷口がつっぱるので、首が後ろにダランとなることはない。
背中を丸めて後ろに倒していっても、ある角度になると頭を支えきれなくて、上体ごとベッドに平らに倒れてしまう。
自分の身体が思うようにいかないというのは不思議な感覚だった。
明日で術後3週間となる今、ようやくにして、倒れる時には『イーッ』と声を出す形に口を横に広げ、首の両側の筋を浮かせて首を支えながら上体を倒すテクニックを身につけた。
何も思わなくても自然にできたことが、できなくなる不便さを手術の後遺症として知った。
体力低下はじわじわと分かってはいるけれど、こういうことで初めて、老化現象の不便さに気づくということが今後は多くなるのだろうと思われる。
健康優良お姉さんの『みんなの体操』は観るだけではなく、必ず実践しなくてはならない。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後遺症・・・その2

2020年05月06日 00時31分18秒 | 健康ネタ

リハビリのつもりで散歩中、よその生垣に咲くベニカナメモチの花に気づいた。

神経麻痺という言葉は正確な医学用語なのかどうか調べてみたいけれど、読むことにハマりそうなので検索しないで書いてみる。
16、7歳の時に、相次いで二人の同級生が顔半分の顔面神経麻痺になったことがある。
二人とも顔の左側だけ、表情が半分死んだように動かなくて奇妙な顔相になっていた。
結果としては、数ヶ月で治り元に戻った。
今回の首切りによって、私の右腕は水平までしか上がらなくなり、右側の首周りは厚い布の上から触っているような違和感があり、かなり強くつねらないと痛みも感じられない麻痺状態になっている。
左側頭部は何かにぶつけてしまったような、触ると痛い部分が直径5センチくらいあって、術後2週間近く経ったのに治らない。
看護師とのやりとりで理解したことがある。
「痛いところはないですか、変わったことはないですか」と毎日聞かれた。
「痛いけどガマンできないことはない」と応えたら、「痛いのをガマンすることはないんですよ」と言われて、ようやく気づいた。
自分の身に起こっている変化や不具合を感じたまま逐一伝えるべきなのだと。
自分の身体にしか関心がない自己愛者となって、体温計や血圧計や血液から分かる数値以外のことを総て医師と看護師に伝えなければ模範患者ではないのだと。
そうして、毎朝やってくる一番若い担当女医には逐一報告して、原因は何か、治るのかと質問をした。
その逐一についてはまた続く。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後遺症・・・その1

2020年05月05日 06時31分31秒 | 健康ネタ


喉元にある手術痕は、かさぶたもなくなり、傷口を縫い合わせたホチキスのような印もない。
場所によるのか、最近の縫合方法なのか、見た目も触った感じもヒモを埋め込んだような状態になっている。
皺に沿ったミミズ腫れなので、人目に触れても気づかれないだろうと思われる。
それでも、ケロイドとして残らないように、ずっとテープを貼り続けるようにと言われた。
横一文字に貼るのなら楽だけれど、25mm幅のテープを同じく25mmほどに細切れにして、縦にダブらせながら貼らなければならない。
傷跡は20センチほどあるので、10枚切って貼り合わせるのを、3日置きにやる。
このマイクロポアという名のテープは、傷跡修復というのか、悪化定着防止というのか、そのような専用テープ。
横には伸びるが、縦には伸びない仕組みになっていて、傷を寄せるように俯き加減で貼るようにという指導を受けた。
パソコン・カメラで自分を写す鏡にして貼るのだけれど、俯くどころか仰け反らせ気味にして貼らないとうまくいかない。
そのせいか、ヒモ状ケロイドとして定着しそうだ。
傷跡なんかどうだっていいし、むしろ勲章のように誇らしかったりするけれど、つっぱり感が強くて、以前のようには上を向けない。
上を向いて歩こうとしても、かなり無理をしないとダメで、かと言ってうつむいたら、それはそれでしびれ感があって違和感がひどい。
ひねるのも傷が引っ張られてしまう無理感があるので、私は見た目には、常に姿勢正しく前向きな人とならざるを得ない。
マイクロポアという絆創膏を自分で買うようにと一番若い担当女医から言われた時には、思わず聞き返してしまった。
ついついあの死刑執行されたケッタイな教祖を思い出したから。
抹殺することをポアと言い、マイクロ波を使った焼却装置を作らせ、死体を完全焼却してしまったこともあったらしい、あの異次元独裁者。
後遺症というタイトルで首の力加減を書く予定だったけれど、前段階の傷が長くなったので、今回はここまで。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

導尿カテーテル&清拭

2020年05月04日 00時44分11秒 | 健康ネタ

ドレンが取れるまでは、毎日、清拭後に新しいレンタル・パジャマに着替えた。

退院して1週間が過ぎた。
自分の病室で全身麻酔から覚めた時には、排尿したい感覚と気持ち悪さがひどかった。
それでも、動くことのままならない最悪の夜は、導尿カテーテルが付いたままなので排尿は必要なく、排便をもよおすこともなかった。
昨年、大変な便秘をして排便に苦しんだことがあって以来、便意がなくても毎日、時間をかけて必ずだすようにしてきた。
手術前に読んだ注意書きに、手術後の排便はベッドでというようなことが示されていたので、手術当日は早朝に排便を済ませておいた。
前立腺全摘手術の時は、一旦尿道を膀胱から切り離して、それからまた縫い合わせるということをやるので、導尿カテーテルはしばらく付けられたままだった。
管は下腹部に絆創膏で止められていたのだけれど、シャワー中に絆創膏が外れてブラ~ンと下がってしまったことがある。
『あ、まずい!』と思ったけれど、抜けてしまうことはなかった。
後で知ったことだが、管の先が膀胱の中でバルーンになっており抜けない仕組みになっている。
その管を抜いてくれたのは、主治医の助手といった立場の男性医師だった。
膀胱鏡を入れたり抜いたりするときと全く同じ、なんとも言えぬ鈍痛(気持ち悪い)だった。
導尿カテーテルを入れるのは麻酔中なので意識がないけれど、今回も抜く時は医師が処置室といった場所のベッドでやってくれるものと思っていた。
そうしたら、いきなりベテラン・ナースといった感じの女性が昼前にやってきて「おしっこの管を抜きますね」と言う。
診察した担当女医が私を診る前にやったと同じナイロンの割烹着風の前掛けをそそくさと着て、ゴム手袋もしてフェイスシールドも着け私の股間にとりかかる。
『え?病室で?!』と意外だったけれど、動けない私はされるがまま。
私は採血の時でも注射をされる時でも、針先を見ている。
小学校の時の悪ガキが、順番がくる前からビビり、注射をされるときには大げさに顔をそむけて痛がるのを見て、私は顔にはださずにせせら嗤っていたものだった。
そんな私だけれど、パンツ型オムツのマジック式を剥がされて管を抜かれるシーンは、仰向きのまま目をつぶった。
「ちょっと気持ち悪いですよ~、はい、抜けました」と、一瞬で終わった。
一瞬だとは言え、ちょっとどころか、かなりの気持ち悪さだったのは以前と同じだった。
でも瞬時のその後はケロリとなんともなく、オムツのマジックを元どおりにしてもらって処置は終わった。
今回の手術は尿道や膀胱をどうこうしたわけではないから、バルーン式ではなくただの管だったのかもしれない。
首の両側に付いたドレーン・パイプがうっとうしかったけれど、下半身のしがらみが一つ取れた開放感は大きかった。
そうして、直後に別のナースが清拭用の熱々タオルを持ってきて、背中を拭いてくれた。
生成りの変な服を脱ぎ、紙おむつでベッドの上にあぐらをかいた格好だけれど、恥ずかしいと思う間もない一連の成り行き。
大小4枚が程よい濡らしかたのおしぼりタオルで、ナイロンに入った小さい使い捨ておしぼりも1つあった。
使い捨てはどこにどう使うのかなと思ったけれど、拭いてくれるのは背中だけなので、あとはカーテンを閉めた私だけの空間で適当に自分でゴニョゴニョゴシゴシと。
紙オムツを脱いでパンツを着け、変な服からレンタルの洗いたてパジャマに替えて、ようやく人心地がついたのだった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが遠出は不要不急にあらず

2020年05月03日 00時16分00秒 | 農事




退院して6日目。
全国に及んでいる緊急事態宣言の外出自粛要請はあっても、医療や福祉やインフラの現場に関わる人達、一次産業や物流に従事している人達は、いつもと変わらずに動き、倍する仕事量をこなしているのだろう。
私はといえば、このコロナ・パンデミックのなか、不急ではないと判断されて後回しにされるのかと思っていた甲状腺癌手術を受けた。
コロナ・ウィルスを決して侵入させまいという厳戒態勢の病院に隔離してもらっていたようなものだった。
毎日まじめに飲んでいる薬はもちろん効いているのだろうけれど、日にち薬が一番の薬で、かなり回復してきた。
そうなると、がぜん動かないではいられない虫が騒ぐ。
どの道を選んでも、四県をまたがないと田舎には行けない。
どうせ俄か農業の遊び半分なのだから、この節は動くべきではないと周りは考えるかもしれない。
感染の危険を冒して500kmの遠方に出かけるのは、先方にいる人達だって迷惑顔をするかもしれない。
そのような考え方はわからないではないけれど、優先順位を正しく広く見据えて検討すると、行くべしという結論になる。

2反歩足らずの農地だけれど耕作放棄をするわけにはいかない。
日本の食料自給率を、いたずらに下げてはいけないのだ。
どんな緊急事態でも腹は減るのだから、自家消費と周りの人に差し上げたり物々交換したりだけの生産でも止めるわけにはいかない。
コロナが恐いからと農地も屋敷も荒れるままに放置するわけにはいかない。
蜜蜂の世話もしなくてはならない。
わが遠出は不要不急にあらずという結論に達した。
もう少しだけ養生してから田舎に行くつもり。
たまに買い物する以外は、自分の田畑と敷地内だけにとどまり、ソーシャル・ディスタンスを保った付き合いをする。
行って二週間ほど買い物にも行かずに農作業だけで過ごしたならば、周りもその後は安心してくれるだろう。
私は自分だけのわがままで日本の食料自給率を下げるわけにはいかない。
ここで、中島みゆきのプロジェクトXの歌が聞こえてくるようだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

術後の食事

2020年05月02日 00時02分00秒 | 健康ネタ


パイナップルに救われた朝食。



コーンスープがオアシスのようだった昼食。



麻婆豆腐をご飯にぶっかけてようやく食った夕食。

眠りに落ちるたびに息苦しくて目を覚ます、眠れない最悪の夜を過ごした翌朝に、診察を済ませて自分のベッドに戻ると朝食が置いてあった。
診察があったせいで冷めてしまい、とりわけおかゆの汁気は米粒が吸い込んで残念な状態。
手術当日は朝から絶食だったし、苦しんで体力を消耗した分、空腹感はあった。
食べないと回復も遅くなるだろうという気もあって、術後最初の食事を努力してむさぼり食った。
むさぼるといっても、ガツガツかっ込むという格好にならない。
口が思うように開かないのだ。
大きく開けようとすると途中でカクンとなり違和感がある。
半開きの口に食べものを押し込むようにして食べている自分がみじめだと思った。
それでもあこう鯛みそ漬けにはありがた味を感じたし、デザートのパイナップルが口に嬉しかった。
術前は、いつも全体に味付けの薄い料理なのに、よく噛む事によって結構おいしく完食していた。
術後は、顎が変になり噛むのに違和感もあって、食事をおいしく咀嚼することができなくなった。
病院の食事に飽きたということより顎の不具合で飯が楽しみではなくなるという後遺症を感じ始めたのだった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする