661 長野市の西隣に位置する上水内郡小川村は高府、小川村役場近くにて 撮影1610
◎ 北安曇郡池田町の農集排のマンホール蓋。ハーブのカモミール(キク科)の花を外周に、北アルプスとカエデ、特別町木のシラカバを内にデザインしている。枠にはVパターン。
火の見櫓370
生坂村下生野にて
◎ 長野県内77市町村を巡り、背景に火の見櫓を配してマンホール蓋の写真を撮るなどという意味不明な企て。この組み合わせができない自治体もあるかもしれないが、できる限り。
生坂水鳥公園のカモ。動物を描く多くのデザインがそうであるようにこのカモも左向き。
660 東筑摩郡生坂村下生野 後方の建物は生坂南部交流センター
■ 細身で逓減が小さい。従って末広がりのカーブもごくなだらか。もう少し逓減率が大きくてカーブもはっきりわかるのが好み。4角形の櫓に4角形の屋根、同見張り台という一般的な組み合わせ。
屋根を受けるフレームの構成が分かる。半鐘は屋根下、中央に吊り下げてある。木槌とともに裸電球も下げてある。
手すりの飾りはあっさりとしたもの。
脚元にも半鐘を吊り下げてある。柱がこの山形鋼で大丈夫なのは、柱4本の共持ち効果だろう。そう、火の見櫓は
下から上まで立体構造なのだ(って、構造のことはよくわからないけれど・・・)。
■ 毎年秋になると南木佳士の作品を読みたくなる。『冬物語』を再読した。
**時の流れとは、老いと病と死だけを運んでくるものなのか。**(「空の青」44頁) こんなくだりが沈んだ心に同調する。
本書に収録されている12編の短編の中では「ウサギ」が好き。
**「ウサギは淋しいと死んじゃうってのはほんとかなあ」**家族との夕食の席での会話から、主人公の私は小学生の時の出来事を回想する・・・。
**「(前略)あなたさえいなければ、私はこのクラスで理想の教育ができると思うのよね」**(124頁)と、担任が涙を流した。問題児ではあったが、学業では誰にも負けないつもりでいた私。
四年生の秋に転校生が来た。清子という名前だった。容貌の愛らしさだけでなく、学業成績でもクラス全員の注目を集め、体育で五十メートル走をやれば新記録。
ある日私は清子にいたずらをする。学校で飼っていたウサギを清子のランドセルの中に入れたのだ。清子は全く気づかずにランドセルをしょって下校していった。
予想に反して、何もなかったかのように清子は振舞う。彼女のふところの深さに対する憧れの念。初恋だった。
中学にあがる春、清子は転向していった。
やがて東京に出て進学校と呼ばれる都立高校に進んだ私。浪人して通い出した予備校で私は清子と再会する。張り出された模試の成績優秀者に清子の名前があったのだ。
**「だから、とてもなつかしいんだけど、こうして会うのは今日だけにしましょうね」**(132頁) 一回だけのデート。
**清子が帰りを急いだので、二十分そこそこで喫茶店を出て御茶ノ水駅で別れた。東京方面に向かうホームで清子は一度だけ手を振った。とってつけたような笑顔が、なぜかとても淋しそうだった。**(133頁)
春が来て、清子は東京の難関大学の医学部に合格、私はようやく東北の新設医学部へ。
医学部五年生の冬休み。帰省した私は小学校の同級会に出席する。**「なあ、中川清子っていうかわいい女の子がいたんべ。あれ、去年の夏、神奈川の海で死んだっつうぞ」**
**「ウサギは淋しいと死んじゃうっていう話だけどなあ、そういうのってたぶんあると思うよ」**(137頁)
好きだなあ、こういう淋しい小説。
■ 9月に読んだ本はこの6冊。
『偶有性操縦法 何が新国立競技場問題を迷走させたのか』磯崎 新/青土社
筋を通せ!と磯崎さんは言いたいのであろう。新国立競技場問題のドタバタ劇、その迷走ぶりを批判的に論じている。この問題に関してはかなり手厳しい。設計施工一体型にされてしまったことで、長い努力の末に確立しつつある建築家という職能を失いかねない状況に陥ってしまった。
改めて提出された案は**あっけにとられる程の素朴きわまりないプログラム直訳建造物になり下がってしまった。アイロニカルな「負ける建築」ではなく、リテラルに「負けてしまった建物」といわざるを得ない。**(191、192頁) ここまで書ける人は磯崎さんをおいて他にいないだろう。彼は腹を括った。
『海辺の光景』安岡章太郎/新潮文庫
1976年10月の初読、40年ぶりの再読。海辺の病院に入院中の母を見舞う信太郎。看病しながら病室で過ごした9日間。美しい光景を見ながら、来し方を回想する。
『虹の岬』辻井 喬/中公文庫
人生をかけた老年の恋
『いかめしの丸かじり』『アンパンの丸かじり』『レバ刺しの丸かじり』東海林さだお/文春文庫
東海林さんの観察力、洞察力、そして文章表現力に脱帽。アンパンを食べるとき茶色い表を上にするのはなぜか?
659 火の見櫓のある風景 諏訪市高島小和田南 撮影日161002
■ この火の見櫓、ずいぶん錆びているが、後方の赤茶色の屋根と同調している。隣は木工用の集塵機ではないかと思うが、錆びた屋根やダクトとも色合いが合っている。この風景、なかなか味がある。
この火の見櫓に防錆塗装がされて、色がシルバーになれば風情のない景色に変ってしまうかもしれない。
少し大げさになるが、このことが美しい街並みを考えるヒントになるように思う。やはり色彩にある程度の統一感を持たせることが、秩序を生み、街を美しくすることにつながるのだ。これは繰り返しの美学に通ずる。
美しい街並みを形成するためには、デザインコードを決めて、それを守るというルールが必要だろう。ヨーロッパの古い街並みがそれを示している、そう、教科書のように。
この火の見櫓のある風景をしばらく見ていて、一体どこが、何がいいのだろうと考えていた。
658 諏訪市中洲福島 撮影日161002 火の見櫓と消防団屯所のツーショット
見張り台の下のスピーカーが物々しい。
■ 前稿の火の見櫓と似てはいるけれど、違う。避雷針の長さ、屋根の反り方 脚のアーチ材と横架材をつなぐプレートの形等々。消防信号板の上につけてある銘板により坂本鉄工所の製作だと分かる。
657 諏訪市四賀普門寺 撮影日161002
■ この火の見櫓を見た瞬間、辰野町小野(下の写真)の火の見櫓によく似ていると思った。櫓の姿、屋根の形、先端の飾り、軒先のひらひら飾りなどがそっくりだし、脚部の形も構成もそっくりだ。
辰野町小野の火の見櫓
この四賀普門寺の火の見櫓の脚のアーチ部材と横架材をつなぐプレートの形、リベットの本数と位置、脚部のトラスの様子は上の青焼き図面と同じだ。そう、この火の見櫓は辰野町にあった大橋鐵工所が製作したものとみて間違いない。
似ている:過去ログ
656 諏訪市湯の脇
■ しばらく前、国道20号を北上していて踏切を渡る直前にこの火の見櫓に気がついたが、急に右折することはできなくて通り過ぎた。先日はこの国道を南下していて、火の見櫓が立っている道路に進入することができた。
それにしてもこのプロポーションはどうだろう。ここまで太い櫓が必要なのかどうか・・・。
ここまで広い見張り台が必要なのかどうか。半鐘がやけに小さく感じる。
こういう新しい火の見櫓を見るにつけ、昭和30年代に造られた火の見櫓ってバランスがいいんだなあ、と思う。
655 撮影日161002
■ 国道20号沿いに立っている屋根なし火の見櫓。隣は下諏訪消防団第四分団屯所 やはり屋根がないと違和感がある。幹線道路沿いの火の見櫓は車を停める場所がなく、観察できない事も少なくない。無理をしないことと肝に銘ずる。
653 下諏訪町北四王の火の見櫓 撮影日161002 第三分団四王屯所の隣に立つ火の見櫓
火の見櫓は建築基準法が規定する工作物で、高さ8メートルを超える場合には建築確認の手続きが必要。この火の見櫓もこの手続きをしたものと思われる。
構造的な安全性を検討するとこんなに物々しい姿になるのだろうか・・・。鋼管柱も太ければブレースもすごい。普段目にしている火の見櫓の構造部材のメンバーとはずいぶん違う。屋根が貧弱に見えてしまう。よく見ると小さな蕨手がついている。
下諏訪町北四王(下諏訪南小学校の近く)にて 撮影日1601002
◎ マンホール蓋は町の木のサクラと町の花のツツジのデザイン。中央には「下」をデザインした町章とその中に下水と入れている。回転をイメージさせるデザインは明らかに蓋が円であることを意識している。優れたデザインだ。
同じ下水道のマンホール蓋だが、こちらは歩道用。市章の上に軽と表示している。車道用は蓋が円を意識したデザインであるのに対し、歩道用はサクラの花びらを正3角形を成すように配置している。これも蓋が円であることを意識したデザイン。しばらく配置の規則性を考えていて気がついた。
下水道のマンホール蓋だけでなく、他の蓋も観察したい。下諏訪は温泉の町、〇に温は温泉を示しているものと思われる。これは温泉用配管の仕切弁であろう。
歩道に設けられた排水側溝の鋳鉄製グレーチング蓋に注目。
ここにも町の木のサクラと町の花のツツジがデザインされていて、つつじ、さくらという表記もある。これはなかなか好い。