充実した読後感を味わえました。
それでは、どうしたらこの満足感を伝えることができるかどうか?
とにかく、はじめてみましょう。
斎藤孝著「身体感覚を取り戻す」(NHKブックス)に
その74ページ頃に、こうあります。
「『長い年月をかけて磨きあげられてきたもの』を型として暗記し、身にしみこませることによって、それが自分の歌を磨きあげていく作業の物差しとなるのである。ここでは『磨きあげる』という表現が、古典となる歌が砥石(といし)の役割を果たすことによってより具体的にイメージされるようになっている。岡野弘彦の作歌のスタイルとしておもしろい点は、身体の鍛錬によって感覚を研ぎ澄ますということである。岡野は『毎朝走って感覚を研ぐ』という。」
そのあとに、また新聞に掲載された岡野弘彦氏の文を引用しております。
「先生のお宅では月に一度、歌会がありました。私は書生の身ですから、仕事の合間を縫って、時間にすれば二十分ほどの間に作ります。集中力と瞬発力が必要です。歌は即興性が大切ですから、この二つは不可欠です。いい訓練になりました。しんねりむっつり考えるより、体を動かしている方が、いい歌は作れるでしょう。(中略)
三、四十人の学生を引率して、毎年十二月の下旬に万葉の旅をしました。山道を一週間、毎日三十五キロから四十キロ歩いて昼は素うどんだけの強行軍です。そして最後の夜に歌会をします。学生は頭で考えたことではなく、体で感じたことを歌にします。いいものがありました。そういうことを三十年も続けましたからね。・・・」
岡野弘彦氏は1924年(大正13年)7月7日、三重県に生れております。
ということは現在は82歳ですか。
うん。短歌を読む喜びというのは、こういうものなのだと、私は初めて知ったような気がしました。ありがたかった。
「短歌512首、それに旋頭歌と長歌」で一冊になっております。
この歌集でも、そこらじゅうを走り・歩いているという躍動感が、読む者に伝わってきます。そして歩いていけない先へと、思いはひろやかにつながってゆきます。簡単に分類引用してみても始まりますまい。ですがせめて、一首だけでも
朗々と祝詞よむ わかき父の声。老いたるわれを 奮ひたたしむ
それでは、どうしたらこの満足感を伝えることができるかどうか?
とにかく、はじめてみましょう。
斎藤孝著「身体感覚を取り戻す」(NHKブックス)に
その74ページ頃に、こうあります。
「『長い年月をかけて磨きあげられてきたもの』を型として暗記し、身にしみこませることによって、それが自分の歌を磨きあげていく作業の物差しとなるのである。ここでは『磨きあげる』という表現が、古典となる歌が砥石(といし)の役割を果たすことによってより具体的にイメージされるようになっている。岡野弘彦の作歌のスタイルとしておもしろい点は、身体の鍛錬によって感覚を研ぎ澄ますということである。岡野は『毎朝走って感覚を研ぐ』という。」
そのあとに、また新聞に掲載された岡野弘彦氏の文を引用しております。
「先生のお宅では月に一度、歌会がありました。私は書生の身ですから、仕事の合間を縫って、時間にすれば二十分ほどの間に作ります。集中力と瞬発力が必要です。歌は即興性が大切ですから、この二つは不可欠です。いい訓練になりました。しんねりむっつり考えるより、体を動かしている方が、いい歌は作れるでしょう。(中略)
三、四十人の学生を引率して、毎年十二月の下旬に万葉の旅をしました。山道を一週間、毎日三十五キロから四十キロ歩いて昼は素うどんだけの強行軍です。そして最後の夜に歌会をします。学生は頭で考えたことではなく、体で感じたことを歌にします。いいものがありました。そういうことを三十年も続けましたからね。・・・」
岡野弘彦氏は1924年(大正13年)7月7日、三重県に生れております。
ということは現在は82歳ですか。
うん。短歌を読む喜びというのは、こういうものなのだと、私は初めて知ったような気がしました。ありがたかった。
「短歌512首、それに旋頭歌と長歌」で一冊になっております。
この歌集でも、そこらじゅうを走り・歩いているという躍動感が、読む者に伝わってきます。そして歩いていけない先へと、思いはひろやかにつながってゆきます。簡単に分類引用してみても始まりますまい。ですがせめて、一首だけでも
朗々と祝詞よむ わかき父の声。老いたるわれを 奮ひたたしむ