谷川健一著「柳田国男の民俗学」(岩波新書)をめくっていたら、
「はじめに」で、こんな言葉がありました。
「私たちが柳田にひきつけられるのは、そのコンコンと溢れ出す豊かなイメージが私たちに日本人としての幸福を約束するからである。柳田の著作に触れるときいつも訪れる充実感と解放感。柳田をよむ前とそのあとでは、日本人の幸福に対する自信といったものがちがう、と私は思っている。柳田の民俗学、それは『日本人の誇りの学』と云うことができる。もし柳田との出会いがなかったら、私は欲求不満を解消できず精神的な飢餓を遂げたにちがいない・・・」
ところで、小林秀雄に「信ずることと知ること」という文があります。
そこに柳田國男が印象深く登場します。そこに柳田の「山の人生」から引用されているエピソードがありました。
その引用箇所はというと
「今では記憶して居る者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であつた年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかり男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)できり殺したことがあつた。・・・
眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさして居た。秋の末の事であつたといふ。二人の子供がその日当たりの処にしゃがんで、頻りに何かして居るので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いて居た。阿爺(おとう)、此でわしたちを殺して呉れといったそうである。・・・・」
小林秀雄は、この柳田國男の短文を全文引用して次に語りつないでいたのですが、一読印象深い箇所でした。
さて谷川健一著「柳田国男の民俗学」の第一章に、この箇所の実際の経緯を知ることになった一部始終を書いております。
「私はこの事故のてんまつが金子貞二著『奥美濃よもやま話 三』の中に『新四郎さ』と題して二篇収録されている事実を、1979年に知らされておどろきを禁じ得なかった」
そして
「柳田の『山の人生』の文章とちがって『新四郎さ』は無学な男の生まの告白談であるが、それなりに迫真力がある。『朝から松蝉の鳴く、なまだるい日じゃった』という『新四郎さ』の話し出しは、やがて到来する不吉な事件を予感させて、春先のけだるく、重苦しい空気をふるわせて鳴く松蝉の声が、効果的である。・・・」
柳田國男が書いた「小屋の口いっぱいに夕日がさして居た。秋の末の事・・・」
というのが、どうやら
「春先の」「松蝉の鳴く」時期であったらしいのです。
ここらあたりの谷川健一さんの調べは周到で、柳田国男の文章のなぞに迫る、貴重な足跡をのこしております。
小林秀雄の柳田國男引用で、何やら分かった気になっていた私など、見事な小股すくいで、思い切り、土俵の外に投げ出されたような気分になりました。
柔道でいえば、鮮やかな一本で、拍手喝采。という場面です。
「はじめに」で、こんな言葉がありました。
「私たちが柳田にひきつけられるのは、そのコンコンと溢れ出す豊かなイメージが私たちに日本人としての幸福を約束するからである。柳田の著作に触れるときいつも訪れる充実感と解放感。柳田をよむ前とそのあとでは、日本人の幸福に対する自信といったものがちがう、と私は思っている。柳田の民俗学、それは『日本人の誇りの学』と云うことができる。もし柳田との出会いがなかったら、私は欲求不満を解消できず精神的な飢餓を遂げたにちがいない・・・」
ところで、小林秀雄に「信ずることと知ること」という文があります。
そこに柳田國男が印象深く登場します。そこに柳田の「山の人生」から引用されているエピソードがありました。
その引用箇所はというと
「今では記憶して居る者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であつた年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかり男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)できり殺したことがあつた。・・・
眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさして居た。秋の末の事であつたといふ。二人の子供がその日当たりの処にしゃがんで、頻りに何かして居るので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いて居た。阿爺(おとう)、此でわしたちを殺して呉れといったそうである。・・・・」
小林秀雄は、この柳田國男の短文を全文引用して次に語りつないでいたのですが、一読印象深い箇所でした。
さて谷川健一著「柳田国男の民俗学」の第一章に、この箇所の実際の経緯を知ることになった一部始終を書いております。
「私はこの事故のてんまつが金子貞二著『奥美濃よもやま話 三』の中に『新四郎さ』と題して二篇収録されている事実を、1979年に知らされておどろきを禁じ得なかった」
そして
「柳田の『山の人生』の文章とちがって『新四郎さ』は無学な男の生まの告白談であるが、それなりに迫真力がある。『朝から松蝉の鳴く、なまだるい日じゃった』という『新四郎さ』の話し出しは、やがて到来する不吉な事件を予感させて、春先のけだるく、重苦しい空気をふるわせて鳴く松蝉の声が、効果的である。・・・」
柳田國男が書いた「小屋の口いっぱいに夕日がさして居た。秋の末の事・・・」
というのが、どうやら
「春先の」「松蝉の鳴く」時期であったらしいのです。
ここらあたりの谷川健一さんの調べは周到で、柳田国男の文章のなぞに迫る、貴重な足跡をのこしております。
小林秀雄の柳田國男引用で、何やら分かった気になっていた私など、見事な小股すくいで、思い切り、土俵の外に投げ出されたような気分になりました。
柔道でいえば、鮮やかな一本で、拍手喝采。という場面です。