伊藤正雄著「俳諧七部集芭蕉連句全解」(河出書房新社・昭和51年)
を読めてよかった。
もっともパラパラ読みで、
私の場合あっちをひらいたり、こっちを読んだりです(笑)。
うん。この本を紹介できる喜び。
はじまりの方に、こうありました。
「・・・連句においてこそ、
芭蕉の創作の天才は絶賛されて然るべきだと思ふ。
明治を過ぎて大正以後、やうやく芭蕉連句再認識の
気運がが生れ、専門俳人以外に、かへって熱心な
研究家が現れるに至った。やや古くは故寺田寅彦、
近年では岡潔氏の如き科学者・数学者にも
芭蕉連句の礼賛者が出てゐる。しかし俳句や和歌と
違ひ、連句の理解にはある程度の予備知識を必要とする
ので、その研究者・鑑賞者が今なほ比較的少ないのも
事実である。以下必要最小限度の予備知識を略述
しようと思ふ。」(p18)
こうして、七部集をとりあげながら、
息継ぎのページに「自適吟」として
「わが愛誦する橘曙覧が『独楽吟』に倣ひて」
というご自身の歌が、注釈の合間合間の
余白のページに記されております。
うん。それを紹介しなければ(笑)。
嬉しさは売れさうもなき
わが著書の出版契約成り立ちし時(p204)
嬉しさはわが亡き後も
わが筆は生きてあらむと思ひみる時(p292)
幸田露伴の注釈への言及もありました。
「露伴の評釈は、・・・
七部集研究史上の一大金字塔であることは否定すべきもなく。
仮に七部集の注釈に古注と新注との時代区分をするとすれば、
露伴以前を古注、それ以後を新注といへるほどのものである。
しかしその欠点は、繁簡宜しきを得ず、往々博学に任せて
無用の詮索に陥り、肝心の中心点を逸脱したり、・・・・
露伴の誤解や付会説が、彼の権威のために、
その後の諸注に踏襲された例も少なしとしない。
且つその文章は、必要以上に用語の難解な文語文で
あるため、若い読者には、露伴の文章そのものに
注釈がなければ理解が困難であらう。」(p50)
はい。私には幸田露伴がよめずに、
ひとり、めげておりました。
伊藤正雄氏の生き生きとした明解さが嬉しい。
を読めてよかった。
もっともパラパラ読みで、
私の場合あっちをひらいたり、こっちを読んだりです(笑)。
うん。この本を紹介できる喜び。
はじまりの方に、こうありました。
「・・・連句においてこそ、
芭蕉の創作の天才は絶賛されて然るべきだと思ふ。
明治を過ぎて大正以後、やうやく芭蕉連句再認識の
気運がが生れ、専門俳人以外に、かへって熱心な
研究家が現れるに至った。やや古くは故寺田寅彦、
近年では岡潔氏の如き科学者・数学者にも
芭蕉連句の礼賛者が出てゐる。しかし俳句や和歌と
違ひ、連句の理解にはある程度の予備知識を必要とする
ので、その研究者・鑑賞者が今なほ比較的少ないのも
事実である。以下必要最小限度の予備知識を略述
しようと思ふ。」(p18)
こうして、七部集をとりあげながら、
息継ぎのページに「自適吟」として
「わが愛誦する橘曙覧が『独楽吟』に倣ひて」
というご自身の歌が、注釈の合間合間の
余白のページに記されております。
うん。それを紹介しなければ(笑)。
嬉しさは売れさうもなき
わが著書の出版契約成り立ちし時(p204)
嬉しさはわが亡き後も
わが筆は生きてあらむと思ひみる時(p292)
幸田露伴の注釈への言及もありました。
「露伴の評釈は、・・・
七部集研究史上の一大金字塔であることは否定すべきもなく。
仮に七部集の注釈に古注と新注との時代区分をするとすれば、
露伴以前を古注、それ以後を新注といへるほどのものである。
しかしその欠点は、繁簡宜しきを得ず、往々博学に任せて
無用の詮索に陥り、肝心の中心点を逸脱したり、・・・・
露伴の誤解や付会説が、彼の権威のために、
その後の諸注に踏襲された例も少なしとしない。
且つその文章は、必要以上に用語の難解な文語文で
あるため、若い読者には、露伴の文章そのものに
注釈がなければ理解が困難であらう。」(p50)
はい。私には幸田露伴がよめずに、
ひとり、めげておりました。
伊藤正雄氏の生き生きとした明解さが嬉しい。