本棚を見てたら、
読まずにあった「お伽草子」(ちくま文庫)がある。
ラッキー。読まずにあったので、すっかり忘れてました。
訳者は、福永武彦・永井龍男・円地文子・谷崎潤一郎。
文庫解説は、織田正吉でした。
ということで、まずは文庫解説から。
ええいままよ。文庫解説の最後を引用。
「時間の篩(ふるい)にかけられ、
無数の小説が死屍累々の惨状を呈しても、
浦島は千年を隔ててしぶとく生き残る。
この現象を何と見ると問われて、
お伽話と小説は違いますというのは
腰が引けている。
玉手箱の中に入っているのは、案外、
物語のおもしろさとは何かという
現代人への素朴な質問状なのかも知れない。」
気になっているのは、
御伽草子のなかの「小野小町」。
現代語訳には、私の見るところ登場しない。
たとえば、
全訳注桑原博史「おとぎ草子」(講談社学術文庫)
にも取り上げられていません。
「お伽草子」(ちくま文庫)
大岡信「おとぎ草子」(岩波少年文庫)
「おとぎ草子・山椒大夫」(少年少女古典文学館・講談社)
というのも、登場しません。
登場しなければ、お呼びじゃないかというと
そうでもない(笑)。
うん。気になったのが雑誌のこの言葉でした。
Voice11月号の大前研一氏へのインタビュー記事(p108~)
その箇所を引用。
大前】 まず注目すべきは、単独世帯(一人暮らし)
の増加だ。国税調査の結果をみると、2010年を境に
日本では、一人暮らしの割合が最も大きくなっている。
しかも、それがすべての世代に起こっているのだ。
原因は未婚化と晩婚化、それから離婚の増加。
とくに最近目立つのが熟年離婚である。・・・
幸い離婚に至らなくても、日本の女性は男性に比べ
平均寿命が長いので、妻のほうが最終的には一人暮らし
になるのは避けられない。
ファミリーレストランに行くと一目瞭然だが、
日本には現在、ファミリーがいない。
総合スーパーが不調なのも理由は同じ。
子どもが三、四人いる家族が車で乗り付けて、
トランクいっぱいに買い物をしてくれないと、
こうした業態は商売が成り立たないのだ。
さらに、一緒に暮らす家族や夫婦でさえ別々に
行動するのがいまでは当たり前になっている。
つまり、消費の中心は『おひとりさま』なのだ。・・・」
はい。
小野小町は未婚の先輩で、
その晩年さえも、能に演じられます。
百人一首の小野小町は
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
うん。「ながめせしまに」いつのまにか晩年へ。
というのは、なかなかに現代的。
芭蕉の「猿蓑」のこの箇所
草庵に暫く居ては打やぶり 芭蕉
いのち嬉しき撰集のさた 去来
さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆
浮世の果は皆小町なり 芭蕉
なに故ぞ粥すするにも涙ぐみ 去来
それでは、
「浮世の果は皆小町なり」を
伊藤正雄氏はどう訳して、どう解説しているか。
「女はそれぞれの恋の体験者であるが、
どんな女も色恋のあげくは、
皆小町同然に老い衰へてしまふのだ」
「ここでは恋の主人公を女性に変へ、
しかも特定の一人ではなく、
女性一般の宿命を言ったのであろう。
それぞれの女性には、
それぞれの違った恋の思ひ出があるが、
最後は小野小町の晩年の如く、
見るかげもない老醜をかこたなければ
ならぬといふのである。
『浮世』は人生の意であるが、
特に愛欲生活の意味がある。
小野小町が晩年零落して、
生活悲惨をきはめた伝説は、
謡曲『関寺小町』『卒塔婆小町』などに
よっても広く知られるところであろう。
詞も、『関寺小町』の『御身は小町が果ぞとよ』、
『卒塔婆小町』の『小野の小町がなれる果にて候なり』
などの示唆があると思はれる。
この句では、零落よりも衰老を主としてゐる
こといふまでもない。・・・
芭蕉の観相句として代表的なものといへる。・・・」
(p269~270)
私は謡曲は「鸚鵡小町」しか読んでない。
もっと読まくては(笑)。
さてっと、現代版お伽草子では
小野小町をもうすこしクローズアップ
したいところであります。
読まずにあった「お伽草子」(ちくま文庫)がある。
ラッキー。読まずにあったので、すっかり忘れてました。
訳者は、福永武彦・永井龍男・円地文子・谷崎潤一郎。
文庫解説は、織田正吉でした。
ということで、まずは文庫解説から。
ええいままよ。文庫解説の最後を引用。
「時間の篩(ふるい)にかけられ、
無数の小説が死屍累々の惨状を呈しても、
浦島は千年を隔ててしぶとく生き残る。
この現象を何と見ると問われて、
お伽話と小説は違いますというのは
腰が引けている。
玉手箱の中に入っているのは、案外、
物語のおもしろさとは何かという
現代人への素朴な質問状なのかも知れない。」
気になっているのは、
御伽草子のなかの「小野小町」。
現代語訳には、私の見るところ登場しない。
たとえば、
全訳注桑原博史「おとぎ草子」(講談社学術文庫)
にも取り上げられていません。
「お伽草子」(ちくま文庫)
大岡信「おとぎ草子」(岩波少年文庫)
「おとぎ草子・山椒大夫」(少年少女古典文学館・講談社)
というのも、登場しません。
登場しなければ、お呼びじゃないかというと
そうでもない(笑)。
うん。気になったのが雑誌のこの言葉でした。
Voice11月号の大前研一氏へのインタビュー記事(p108~)
その箇所を引用。
大前】 まず注目すべきは、単独世帯(一人暮らし)
の増加だ。国税調査の結果をみると、2010年を境に
日本では、一人暮らしの割合が最も大きくなっている。
しかも、それがすべての世代に起こっているのだ。
原因は未婚化と晩婚化、それから離婚の増加。
とくに最近目立つのが熟年離婚である。・・・
幸い離婚に至らなくても、日本の女性は男性に比べ
平均寿命が長いので、妻のほうが最終的には一人暮らし
になるのは避けられない。
ファミリーレストランに行くと一目瞭然だが、
日本には現在、ファミリーがいない。
総合スーパーが不調なのも理由は同じ。
子どもが三、四人いる家族が車で乗り付けて、
トランクいっぱいに買い物をしてくれないと、
こうした業態は商売が成り立たないのだ。
さらに、一緒に暮らす家族や夫婦でさえ別々に
行動するのがいまでは当たり前になっている。
つまり、消費の中心は『おひとりさま』なのだ。・・・」
はい。
小野小町は未婚の先輩で、
その晩年さえも、能に演じられます。
百人一首の小野小町は
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
うん。「ながめせしまに」いつのまにか晩年へ。
というのは、なかなかに現代的。
芭蕉の「猿蓑」のこの箇所
草庵に暫く居ては打やぶり 芭蕉
いのち嬉しき撰集のさた 去来
さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆
浮世の果は皆小町なり 芭蕉
なに故ぞ粥すするにも涙ぐみ 去来
それでは、
「浮世の果は皆小町なり」を
伊藤正雄氏はどう訳して、どう解説しているか。
「女はそれぞれの恋の体験者であるが、
どんな女も色恋のあげくは、
皆小町同然に老い衰へてしまふのだ」
「ここでは恋の主人公を女性に変へ、
しかも特定の一人ではなく、
女性一般の宿命を言ったのであろう。
それぞれの女性には、
それぞれの違った恋の思ひ出があるが、
最後は小野小町の晩年の如く、
見るかげもない老醜をかこたなければ
ならぬといふのである。
『浮世』は人生の意であるが、
特に愛欲生活の意味がある。
小野小町が晩年零落して、
生活悲惨をきはめた伝説は、
謡曲『関寺小町』『卒塔婆小町』などに
よっても広く知られるところであろう。
詞も、『関寺小町』の『御身は小町が果ぞとよ』、
『卒塔婆小町』の『小野の小町がなれる果にて候なり』
などの示唆があると思はれる。
この句では、零落よりも衰老を主としてゐる
こといふまでもない。・・・
芭蕉の観相句として代表的なものといへる。・・・」
(p269~270)
私は謡曲は「鸚鵡小町」しか読んでない。
もっと読まくては(笑)。
さてっと、現代版お伽草子では
小野小町をもうすこしクローズアップ
したいところであります。