和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

夜中に眼が覚める。

2017-06-03 | 本棚並べ
新潮選書の一冊。
山折哲雄著「『ひとり』の哲学」を古本で購入。

その序章とあとがきに代えてとを読む。

その序章にはこうあります。

「その最たる例が、さしあたり自助、共助、公助といった
言葉遣いではないだろうか。・・・・
要するに、助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ、
と叫んでいるだけである。
110番通報のかわりに考案されたハイカラな言葉遣いであることが、
一目瞭然である。ガラス細工のような言葉遊びにすぎないから、
われわれの五臓六腑にはほとんどひびかない。
ハイカラな言葉の破片が砕け散ったあとには、
助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ、
の他人まかせの悲鳴だけがきこえてくる。
ひとりでいること、ひとりであること、
ひとりで生きることとは無縁な、
腹の足しにはなりそうもない、
流行り廃りの掛け声であると思わないわけにはいかない。」(p10)

「あとがきに代えて」は
まるで、詩のような書き方でした。


「早朝三時に、目覚める。
前夜、九時にはベッドインするから、そうなる。
老人早起き症、ということなのだろう。」

こうはじまっておりました。

本文をぱらりとめくると
こんな箇所。

「法然と一遍をどう位置づけるか。
これは、わが国の『軸の時代』の第一走者と
最終ランナーをどのように設定するか、
という避けて通ることのできない厄介な仕事の
ように思われてきたのである。」(p170)


ちなみに、山折哲雄氏は
宗教学者、評論家。1931(昭和6)年生まれ。

「あとがきに代えて」の最後は
こうしめくくられておりました。

「夜九時を過ぎるころになれば、
ひとり酒も終焉を迎える。
深沈とした夜の闇が、からだの中に溶けこんでくる。
さあ、これから死ぬか、
と掛け声をかけ、そのままベッドにころがりこむ。
      平成28年9月6日  」(p237)
コメント
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