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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

きついと思う。

2017-06-09 | 産経新聞
産経新聞の6月6日でした。
2面の下に、雑誌広告。
WILL7月増刊号「追悼渡部昇一」。
次の3面総合欄は
「一橋大学園祭 百田尚樹さん公演中止 実行委に圧力」
と見出しで、一橋大の校門写真と、百田さんの顔写真。

そこからすこし引用。

「一橋大の学園祭で開催予定だった作家の
百田尚樹さんの講演会が急遽中止になった問題を受け、
百田さんが5日、産経新聞の取材に応じ、
『百田尚樹という、自分たちが気に入らない人物に
話をさせないことが目的になっている。
言論弾圧以外の何ものでもない』
などと自身の見解を語った。
実行委側には、
『講演を聞いてショックで自殺したら、どう責任を取るのだ』
などといった意見が『手を替え品を替え寄せられた』といい、
百田さんは『ノイローゼになった学生や、泣き出す女学生も
いたようだ。19、20歳の学生がそんなにしつこくやられたら、
きついと思う』と・・・・」


うん。この『きついと思う』ことから何を学ぶのか?
転んでもただでは起きないでくださいね。
以下に引用する『希有なケース』を読んで、
さまざまケースがあることも知ってください。

たとえば、渡部昇一著「朝日新聞と私の40年戦争」(PHP研究所)に
こんな箇所があります。


「『朝日新聞』の虚構報道は、私にさまざまな影響をもたらしました。
・・・執拗に授業妨害を受けました。とくにある障害者団体と団体は、
私が担当しているあらゆる授業に押しかけてきました。
たとえば、ある障害者団体は、活動家が障害者を乗せた車椅子を押して
教室に入ってきました。そんなとき私は障害者の手をとって、
『今あなたの車椅子を押しているのは悪い人ですよ』と語りかけました。
そうすると、障害者が私を批判するために来たという建前ですから、
車椅子を押している活動家は何も言えないのです。
当時、私は週六コマほど授業を受け持っていましたが、
すべての授業で妨害を受けるということが、
夏休み前後におよそ四カ月も続きました。
また、大学構内の最も目立つ場所に、『渡部教授を批判する』
という巨大な看板を立てられました。そこに書かれているのは、
『朝日新聞』の虚構報道をもとにした私への罵詈雑言です。
私がかつて子供の頃のことを書いた文章まで持ち出して
私を批判したものもありました。・・・・
それで六月か七月頃、抗議に来た団体の代表に
『立て看板には君たちの言い分だけを書いているけど、
僕の言い分も書かせてくれよ』と言って、
私は反論を書いたのです。
するとその団体は来なくなり、そのまま夏休みになりました。
ところが夏休みが明けると、顔ぶれを一新して、
またその団体の糾弾が始まりました。
かつてのメンバーは更迭されたのでしょう。
そこで私はまた、新しい責任者を説得して
立て看板に私の言い分を書きました。
やがて私への糾弾は下火となり、
立て看板も撤去されました。
結局、私は発言の訂正や謝罪を一度もすることなく、
この馬鹿げた騒動を乗り切ったのです。
私のところに押しかけてきた二つの糾弾団体は
とくに恐れられていた存在で、その団体に追及され、
対応の苦慮した大学は他にもありました。
教師が辞職に追い込まれたり、
大学側に『思想改善』のための講習会に出席せよと迫って、
講習費の名目で金銭を要求されたりしたケースもあると聞いています。
ですから、私が発言の訂正や謝罪をすることなく事態を
終結させたのは、希有なケースだと言われました。
あとで聞いたところでは、上智大学の事務局には
他の大学から
『過激な糾弾団体にどう対応すればいいか教えてほしい』と、
講師派遣の依頼がいろいろあったそうです。」
(p56~p59)


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