WILL7月臨時増刊歴史通とあり
「追悼『知の巨人』渡部昇一」。
さてっと、その平川祐弘氏の追悼文に
こんな箇所。
「渡部氏の『知的生活の方法』は
よく売れて百二十万部出たという。
しかし私はこれが名著とは思わず、
自分が当時は狭いプレハブに住んでいたこともあり
『僕は書庫など造らない。書物は大学の図書室を利用する』
などと氏に言ってしまった。」(p96)
はい。追悼文で
こうして、書かれるのは、
平川祐弘氏ぐらいでしょうね(笑)。
さてっと、そのあとに
平川氏は渡部昇一著「幸田露伴の語録に学ぶ自己修養法」
からの引用をしております。
そこに平川氏が取り上げられているからでした。
そこのところを、直接本にあたってみました。
平川氏の引用の少し前から引用してみます。
幸田露伴の努力論などをとりあげたあとに
渡部氏はこう指摘しておりました。
「これらの本は一種の修養書であるといってもいい。
ところが近代の教養主義は、修養という言葉を嫌がる傾きがある。
それは修養が立身出世の一手段と考えられるようになったからであろう。
しかし露伴の頃は修養は非常に重要なことであり、
大学でも倫理学が最も人気のある学科といわれていた。
たとえば新渡戸稲造博士は、現在は『武士道』という本を書いたことで
知られるが、当時の日本では、新渡戸稲造博士の主著は『武士道』ではなく
『修養』であると考えられていた。そのように修養書が人々に
受け入れられていた時代があったのである。
現代の知識人の多くが、人間を論ずるときに、
その修養的な面を省いて考えようとする傾向が強い
ように私には感じられる。それはなぜか。
・・・・私にはどうしても一定のコースに乗った
自分の将来の人生像が浮かばないのである。
そんな自分をどうするかを考えるためには、
古今の偉人の話からヒントを得て、
自分なりに考えるより仕方がない。
多くの人間には、そういう時期が必ずあるのではないのだろうか。」
「神藤先生のように、それから露伴のように、
自分で本を読んで自分の人生を考えるというコースしか
なかったのである。しかし私は、それが自分の人生を
非常に豊かにしてくれたように思う。
ゆえに私は、大学の教師になってからも、
しきりにそのようなことを書くようになったのである。
あるとき東大の平川祐弘先生が私の随筆を読んでくださって、
そこで私が紹介していた本を取り上げて
『なかなか珍しいものがあっていいが、
修養的なことは余計な話だ』というようなことを
述べられたことがある。・・・」
「露伴の語録に学ぶ自己修養法」(到知出版社)
の「はじめに」に出てくる言葉を引用しているのですが、
ここで、渡部氏は
露伴と漱石とをもってきております。
「露伴は、中学では夏目漱石と同じクラスにいたこともある
といわれている。漱石は、その後一高から東大に進んで、
第一回の文部省留学生になってイギリスへ留学する。・・
一方の露伴は、学歴といえば、中学を出たあとは
電信技術系の専修学校のようなところで学んだだけである。」
あらためて「はじめに」を読んでいると、
露伴が、渡部昇一氏で
漱石が、平川祐弘氏であるような気になります(笑)。
そうだとすると、
この平川氏による追悼文は、
漱石が、露伴を追悼しているみたいにも読めるなあ、
と思いながら読みました。
それにしても、「教養」と「修養」というのは
興味深いテーマとなります。
そのテーマの切り取り方を、
平川氏は見事にこの追悼文でやってのけたような気がするのでした。
「追悼『知の巨人』渡部昇一」。
さてっと、その平川祐弘氏の追悼文に
こんな箇所。
「渡部氏の『知的生活の方法』は
よく売れて百二十万部出たという。
しかし私はこれが名著とは思わず、
自分が当時は狭いプレハブに住んでいたこともあり
『僕は書庫など造らない。書物は大学の図書室を利用する』
などと氏に言ってしまった。」(p96)
はい。追悼文で
こうして、書かれるのは、
平川祐弘氏ぐらいでしょうね(笑)。
さてっと、そのあとに
平川氏は渡部昇一著「幸田露伴の語録に学ぶ自己修養法」
からの引用をしております。
そこに平川氏が取り上げられているからでした。
そこのところを、直接本にあたってみました。
平川氏の引用の少し前から引用してみます。
幸田露伴の努力論などをとりあげたあとに
渡部氏はこう指摘しておりました。
「これらの本は一種の修養書であるといってもいい。
ところが近代の教養主義は、修養という言葉を嫌がる傾きがある。
それは修養が立身出世の一手段と考えられるようになったからであろう。
しかし露伴の頃は修養は非常に重要なことであり、
大学でも倫理学が最も人気のある学科といわれていた。
たとえば新渡戸稲造博士は、現在は『武士道』という本を書いたことで
知られるが、当時の日本では、新渡戸稲造博士の主著は『武士道』ではなく
『修養』であると考えられていた。そのように修養書が人々に
受け入れられていた時代があったのである。
現代の知識人の多くが、人間を論ずるときに、
その修養的な面を省いて考えようとする傾向が強い
ように私には感じられる。それはなぜか。
・・・・私にはどうしても一定のコースに乗った
自分の将来の人生像が浮かばないのである。
そんな自分をどうするかを考えるためには、
古今の偉人の話からヒントを得て、
自分なりに考えるより仕方がない。
多くの人間には、そういう時期が必ずあるのではないのだろうか。」
「神藤先生のように、それから露伴のように、
自分で本を読んで自分の人生を考えるというコースしか
なかったのである。しかし私は、それが自分の人生を
非常に豊かにしてくれたように思う。
ゆえに私は、大学の教師になってからも、
しきりにそのようなことを書くようになったのである。
あるとき東大の平川祐弘先生が私の随筆を読んでくださって、
そこで私が紹介していた本を取り上げて
『なかなか珍しいものがあっていいが、
修養的なことは余計な話だ』というようなことを
述べられたことがある。・・・」
「露伴の語録に学ぶ自己修養法」(到知出版社)
の「はじめに」に出てくる言葉を引用しているのですが、
ここで、渡部氏は
露伴と漱石とをもってきております。
「露伴は、中学では夏目漱石と同じクラスにいたこともある
といわれている。漱石は、その後一高から東大に進んで、
第一回の文部省留学生になってイギリスへ留学する。・・
一方の露伴は、学歴といえば、中学を出たあとは
電信技術系の専修学校のようなところで学んだだけである。」
あらためて「はじめに」を読んでいると、
露伴が、渡部昇一氏で
漱石が、平川祐弘氏であるような気になります(笑)。
そうだとすると、
この平川氏による追悼文は、
漱石が、露伴を追悼しているみたいにも読めるなあ、
と思いながら読みました。
それにしても、「教養」と「修養」というのは
興味深いテーマとなります。
そのテーマの切り取り方を、
平川氏は見事にこの追悼文でやってのけたような気がするのでした。