渡部昇一氏への追悼文。
中西輝政氏の雑誌への掲載が、3冊で読めました。
とりあえず上げてみると、
Hanada7月号「大切な人の早すぎる死」
WILL7月増刊号「『不死身の言論人』の早すぎた死」
Voice7月号「渡部昇一先生を偲ぶ」
古典落語を話す落語家のように、各雑誌で
本題の内容は同じでも、微妙に導入部がかわります。
それは、それとして、中西輝政氏の
本題の気になった箇所を引用。
ここには、WILLの文章をまず引用してみます。
「・・・私が初めて渡部先生に直接お目にかかったのは、
1997年に出版した拙著『大英帝国衰亡史』がベストセラー
になったので、当時テレビ東京で渡部先生がホスト役を
つとめておられた対談番組にゲストとして招かれたときだった。
その頃の日本では、バブルが崩壊し隆盛を極めた経済大国・日本
がかつてのイギリスのように衰亡の道をたどるのでは、
という関心が強くあったので、局側が用意した番組の台本は、
話題をそういう方向へ持っていくようになっていた。
しかし話し始めると、イギリスをはじめとするヨーロッパの
歴史や文化に関わる細かな話やエピソードへと、
二人の対話はまさしく『あらぬ方向』に脱線し続けて、
場面は何だか二人物好きの学者が
『そうそう、それそれ』などと言いつつ、
何やらマニアックな話で勝手に盛り上ってゆくというものであった。
見かねたテレビ局のスタッフが割って入って
『撮り直ししましょう』と言い出した。
ところが渡部先生は
『こういう話こそ値打ちがあるんだ』
とたしなめられるのであった。私はその時
『この人はとても立派な学者なのだ』
と深く感じ入った。
世間が関心を抱く話題を大衆にわかりやすい口調で
説く評論家の役割も大切だが、
学問それ自体のよろこびを知る者同士が
時と場所を忘れて語り合う、この世の中には
そんな世界もあるのだということを
多くの人々に知ってもらうのも、
大切な文化の営みなのである。・・・」(p45~46)
この引用したテレビ番組の箇所は
雑誌Hanadaでは、こうなっておりました。
「しかし話し始めると、
ともにイギリスをはじめとするヨーロッパの
(アメリカではない!)歴史と文化に深い
愛着と強い関心を共有していたから、
そのうち二人の話はどんどんあらぬ方へと
『暴走』を始め、場面は何だかマニア的な
欧州史の話が次々に出て、二人の物好きの学者が
『そうそう、それそれ』とか言って
勝手に盛り上がってゆく。
見かねたテレビ局のスタッフが割って入って
『カット』の連続になり、はてはビデオの
『撮り直し』ということを口にするのであった。
しかし渡部先生は、
『何を言ってるんだ。こういう話こそ値打ちがあるんだ』
と強く窘(たしな)められた。・・・」(p302)
この機会にP・G・ハマトン「知的生活」を
読もうと思っております(笑)。
そこから引用してみます。
「今日の学校教育の内容はあまりにも
ヴァラエティに富んでいて、
若者たちはとりとめもなくいろんな分野の
ことを学ぶはめになり、結局、生半可な知識しか
身につけられないでいます。
若者が自分のエネルギーを思い切り集中するのは、
専門的な職業に従事している時だけです。
したがって、学校では教えない徹底した専門の
職業訓練には着実な効果があります。
わが息子たちは、不完全であっても多くのことを
すればほめられ、褒美をもらってきます。
完璧にものを学ぶとは一体どういうことなのか、
またそうするためにはとてつもない努力が
要求されるのだということを息子たちが
知らないままに終っても、彼らには罪はないわけです。
ですから、いい折を見つけて、
生半可な知識と完璧な知識の違いを、
御自分の息子さんにも体得させるようにしたほうがよいと思います。
・・・・」(単行本p109)
中西輝政氏の雑誌への掲載が、3冊で読めました。
とりあえず上げてみると、
Hanada7月号「大切な人の早すぎる死」
WILL7月増刊号「『不死身の言論人』の早すぎた死」
Voice7月号「渡部昇一先生を偲ぶ」
古典落語を話す落語家のように、各雑誌で
本題の内容は同じでも、微妙に導入部がかわります。
それは、それとして、中西輝政氏の
本題の気になった箇所を引用。
ここには、WILLの文章をまず引用してみます。
「・・・私が初めて渡部先生に直接お目にかかったのは、
1997年に出版した拙著『大英帝国衰亡史』がベストセラー
になったので、当時テレビ東京で渡部先生がホスト役を
つとめておられた対談番組にゲストとして招かれたときだった。
その頃の日本では、バブルが崩壊し隆盛を極めた経済大国・日本
がかつてのイギリスのように衰亡の道をたどるのでは、
という関心が強くあったので、局側が用意した番組の台本は、
話題をそういう方向へ持っていくようになっていた。
しかし話し始めると、イギリスをはじめとするヨーロッパの
歴史や文化に関わる細かな話やエピソードへと、
二人の対話はまさしく『あらぬ方向』に脱線し続けて、
場面は何だか二人物好きの学者が
『そうそう、それそれ』などと言いつつ、
何やらマニアックな話で勝手に盛り上ってゆくというものであった。
見かねたテレビ局のスタッフが割って入って
『撮り直ししましょう』と言い出した。
ところが渡部先生は
『こういう話こそ値打ちがあるんだ』
とたしなめられるのであった。私はその時
『この人はとても立派な学者なのだ』
と深く感じ入った。
世間が関心を抱く話題を大衆にわかりやすい口調で
説く評論家の役割も大切だが、
学問それ自体のよろこびを知る者同士が
時と場所を忘れて語り合う、この世の中には
そんな世界もあるのだということを
多くの人々に知ってもらうのも、
大切な文化の営みなのである。・・・」(p45~46)
この引用したテレビ番組の箇所は
雑誌Hanadaでは、こうなっておりました。
「しかし話し始めると、
ともにイギリスをはじめとするヨーロッパの
(アメリカではない!)歴史と文化に深い
愛着と強い関心を共有していたから、
そのうち二人の話はどんどんあらぬ方へと
『暴走』を始め、場面は何だかマニア的な
欧州史の話が次々に出て、二人の物好きの学者が
『そうそう、それそれ』とか言って
勝手に盛り上がってゆく。
見かねたテレビ局のスタッフが割って入って
『カット』の連続になり、はてはビデオの
『撮り直し』ということを口にするのであった。
しかし渡部先生は、
『何を言ってるんだ。こういう話こそ値打ちがあるんだ』
と強く窘(たしな)められた。・・・」(p302)
この機会にP・G・ハマトン「知的生活」を
読もうと思っております(笑)。
そこから引用してみます。
「今日の学校教育の内容はあまりにも
ヴァラエティに富んでいて、
若者たちはとりとめもなくいろんな分野の
ことを学ぶはめになり、結局、生半可な知識しか
身につけられないでいます。
若者が自分のエネルギーを思い切り集中するのは、
専門的な職業に従事している時だけです。
したがって、学校では教えない徹底した専門の
職業訓練には着実な効果があります。
わが息子たちは、不完全であっても多くのことを
すればほめられ、褒美をもらってきます。
完璧にものを学ぶとは一体どういうことなのか、
またそうするためにはとてつもない努力が
要求されるのだということを息子たちが
知らないままに終っても、彼らには罪はないわけです。
ですから、いい折を見つけて、
生半可な知識と完璧な知識の違いを、
御自分の息子さんにも体得させるようにしたほうがよいと思います。
・・・・」(単行本p109)