鶴見俊輔・野村雅一対談集「ふれあう回路」(平凡社)。
この最後には
「1986年5月7日、6月6日、京都・栗田山荘にて対談」
とありました。
さて、その時の鶴見俊輔さんの年齢は、63歳。
鶴見さんは、こう語っております。
それは藤沢桓夫さんが読売新聞に連載していた
文のことを取り上げておりました。
「・・ちかごろ死んだ人がよく現れるというのです。
・・・自分とつきあいがあった時代のことをそのまま
思い浮かべるというんじゃないのですよ。
目の前に新しいものが出てくると、
それについて死んだ人と対話をするわけ、
だから死んだ人と昔の話じゃなくて、
今のことについて対話している。
死んだ人が生きてきて、生命の延長として
話しているわけね、フッと出てきて、
それが老人の感覚なんです。
死んだ人との共同体、死んだ人との共生という感じね。
この感じが私には、いま63になってくるとわかりますね。
死んだ人とともに見ているという感覚、
そういう感じが高齢社会になると、だんだん
社会の底にたまってくる。・・・」
このあとに鶴見さんは、
京都新聞に載った詩を引用しておりました。
天野忠の詩「父と子」
「 あの道を西へ曲がろうとする矢先き
いつもうつむいて上眼づかいの
父親に出逢う。
めったに口をきかない。
こっちも口をきかない。
ぎこちなくもじもじしながら
出来損ないの豆腐のように崩れて
もやもやと散ってしまう。
74歳の俺も
60歳で死んだ親父も
ユメのなかでは
まだ頑固に恥ずかしがっている。 」
こうして詩を引用したあとに
鶴見さんは、こう指摘しておりました。
「・・・天野忠の詩は新聞にのっているわけですから、
若い人も見るでしょう。かなりの読者がいて、
この感じを保っていきますよ。日本の未来について
私が最も希望をもてるもの、コミュニケ―ションの場ですね。
それを理解する若い人もまた出てくるだろう。
できれば子どもも、という感じですね。」(p153~p155)
はい。京都新聞を読む、かなりの読者に、
私は属しておりませんでした(笑)。
でも、この対談で知りえたのでした。
ちなみに、この対談のp20にも
天野忠の詩が引用されておりました。
この機会なので、その箇所も引用。
「このあいだ多田道太郎氏が仲人になった結婚式があって、
花嫁、花婿は24歳、25歳、そこで彼がスピーチをした。
天野忠の『しずかな夫婦』という詩を引いて、それは
結婚よりも私は『夫婦』が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
というのですが、なかなかいいんだよね。・・・・」