和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

出来損ないの豆腐のように。

2019-10-31 | 詩歌
鶴見俊輔・野村雅一対談集「ふれあう回路」(平凡社)。
この最後には
「1986年5月7日、6月6日、京都・栗田山荘にて対談」
とありました。

さて、その時の鶴見俊輔さんの年齢は、63歳。
鶴見さんは、こう語っております。
それは藤沢桓夫さんが読売新聞に連載していた
文のことを取り上げておりました。

「・・ちかごろ死んだ人がよく現れるというのです。
・・・自分とつきあいがあった時代のことをそのまま
思い浮かべるというんじゃないのですよ。
目の前に新しいものが出てくると、
それについて死んだ人と対話をするわけ、
だから死んだ人と昔の話じゃなくて、
今のことについて対話している。
死んだ人が生きてきて、生命の延長として
話しているわけね、フッと出てきて、
それが老人の感覚なんです。
死んだ人との共同体、死んだ人との共生という感じね。

この感じが私には、いま63になってくるとわかりますね。
死んだ人とともに見ているという感覚、
そういう感じが高齢社会になると、だんだん
社会の底にたまってくる。・・・」

このあとに鶴見さんは、
京都新聞に載った詩を引用しておりました。
天野忠の詩「父と子」

「  あの道を西へ曲がろうとする矢先き
  いつもうつむいて上眼づかいの
  父親に出逢う。

  めったに口をきかない。
  こっちも口をきかない。
  ぎこちなくもじもじしながら
  出来損ないの豆腐のように崩れて
  もやもやと散ってしまう。

  74歳の俺も
  60歳で死んだ親父も
  ユメのなかでは
  まだ頑固に恥ずかしがっている。  」

こうして詩を引用したあとに
鶴見さんは、こう指摘しておりました。

「・・・天野忠の詩は新聞にのっているわけですから、
若い人も見るでしょう。かなりの読者がいて、
この感じを保っていきますよ。日本の未来について
私が最も希望をもてるもの、コミュニケ―ションの場ですね。
それを理解する若い人もまた出てくるだろう。
できれば子どもも、という感じですね。」(p153~p155)

はい。京都新聞を読む、かなりの読者に、
私は属しておりませんでした(笑)。
でも、この対談で知りえたのでした。

ちなみに、この対談のp20にも
天野忠の詩が引用されておりました。
この機会なので、その箇所も引用。

「このあいだ多田道太郎氏が仲人になった結婚式があって、
花嫁、花婿は24歳、25歳、そこで彼がスピーチをした。
天野忠の『しずかな夫婦』という詩を引いて、それは

  結婚よりも私は『夫婦』が好きだった。
  とくにしずかな夫婦が好きだった。
  結婚をひとまたぎして直ぐ
  しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。

というのですが、なかなかいいんだよね。・・・・」


コメント
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