本棚から文庫本をとりだす。
E.ケストナー著「人生処方詩集」(ちくま文庫・1988年~)。
帯には「皇后陛下美智子さま御紹介の詩『絶望第一号』収録」
とありました。
開くわけでもなく、この題名が思い浮かび、手にしました。
たとえば題名をかえて、「高齢者人生処方詩集」としたら、
どんな詩が並ぶのだろうなあ、と思ってみます。
井伏鱒二著「厄除け詩集」(講談社文芸文庫)
鶴見俊輔著「もうろくの春」(SURE)
天野忠詩集「讃め歌抄」(編集工房ノア)
都築響一著「夜露死苦現代詩」(新潮社)
杉山平一詩集「希望」(編集工房ノア)
などが本棚にありました。
このところ、寝床のおともは詩集「希望」です。
ひとつの詩を読んで、目をつぶると、
もう次の詩は、どうでもよくなったりします。
たとえば、こんな詩
バスと私 杉山平一
走っていったのに
バスは出てしまった
やっと次のバスに乗れて
ふと 降りる駅に気づいて
あわてて立ち上がったとたん
ドアはしまってしまった
今度こそと気をひきしめて
うまくとび降りたと思ったら
違う駅だった
大きな図体をひきずって
最終バスはゆっくり消えていった
思えばそんな人生だった
う~ん。これじゃ人生処方詩集に
入れられないかなあ。もうひとつ引用。
待つ 杉山平一
待って
待っても
待つものは来ず
禍福はあざなえる縄というのに
不幸のつぎは
また不幸の一撃
ふたたび一発
わざわいは重なるものとも
知らず
もう疲れきって
どうでもいいと
ぼんやりしていた
それが
幸せだったと気づかず
うん。こちらの詩のほうが、
人生処方詩集に、つい入れたくなるでしょうか。
三題噺のたとえもあるさ。わたしにふさわしい
三つ目の詩を、引用しておしまい。
気づかずに 杉山平一
けなされているのに
ほめられていると思い
皮肉られているのに
ほめられていると思い
他人をほめているのを
自分のことをいわれていると思い
いい気になっているのに
このごろ気がついた
気づかず生きていた
しあわせ