温かくなってきたせいか、お昼を食べると、ねむくなる。
ちょっと動くと、あくびが出たりします。
さてっと、
いままで、杉本秀太郎氏の本が読めなかった。
内容が、つまっているようなのですが、
杉本秀太郎著「平家物語」や「徒然草」など、
最初から読む気にならないでおりました。
塚本珪一著「フンコロガシ先生の京都昆虫記」(青土社)に、
その杉本秀太郎氏に関して4ページほどの紹介文がある。そこに
「本業はフランス文学であるが、立派な博物学者である。
彼(杉本秀太郎)のエッセイは『博物学者』の称号を与えたい。」
(p196)とあるのでした。
なあんだ。文学者の文章として読もうとしていたから、
噛み合わず、肩すかしをくらっていたのかもしれない。
塚本氏のその文では、数冊の杉本氏の本が紹介されている。
これはと、興味がわいて、古本を注文することにしました。
はい。今日届いたのが
杉本秀太郎著「だれか来ている」(青草書房・2011年)。
カバー裏のバーコードの箇所に「BB 自由価格本」という
シールが貼ってありました。あんまり売れなかったのかなあ。
定価は2400円+税。それが古本で860円+送料300円でした。
とりあえず。パラリとひらく。
「講演・目立つもの目立たないもの」のはじまりのページに
こんな箇所がある。
「お聞きのように私の声は非常に通りが悪く、
しかも眠気を誘う声なのは困ったことであります。
ちょうど午後一時、二時というのは大変眠くなる時間帯です。
京都女子大学というところで、フランス語の教師を長年しておりました。
蒸し暑い六月の午後最初の第三講時のことでした。・・・
気が付いたら、50名の学生たちは全部居眠りをしておりました。
目覚めているのは・・・一介の教師の私だけ。
要するに、それも私の声が悪いからでしょう。
仕方がないです。・・」(p68~69)
こんなふうにして講演は、はじまりっておりました。
そうそう、それはそうと博物学者らしい箇所を引用。
「生き物と暮らす」という2ページの文。
その後半。
「私が自室に持ちこんで飼うことのある小さな生き物
というのは、アゲハチョウの幼虫。径一尺ばかりの壺
の真中に柑橘類の小枝を立てておく。葉が食べ尽くされぬ
うちに新しい小枝を差し添えるだけの手間で、幼虫は
やがて蛹になり、蛹はやがて羽化して、ナミアゲハあるいは
クロアゲハ、ときにはモンキアゲハがあらわれる。
ゆび先にとまらせ、窓をあけて屋外に放つ一瞬は気分がいい。
さよなら、またおいでなさい。・・・」(p104)
はい。これだけで、私の知らない新しい世界が拓かれてくるようで、
楽しみになります。そういえば、今日の午後の、あくびはなかった。