ドナルド・キーン著「日本文学のなかへ」(文藝春秋・昭和54年)。
この本のなかに、謡曲への言及があり、一読忘れがたい。
「こんなことを書けば奇異に感じる人もいるだろうが、
私は日本の詩歌で最高のものは、和歌でもなく、
連歌、俳句、新体詩でもなく、謡曲だと思っている。
謡曲は、日本語の機能を存分に発揮した詩である。
そして謡曲二百何十番の中で、『松風』はもっとも優れている。
私は読むたびに感激する。・・・・・・・
月はひとつ、影はふたつ、満つ潮の、
夜の車に月を載せて、憂しとも思はぬ、潮路かなや。
・・・音のひびきが、なんとも言えないのである。」(p57)
それから、能を読みはじめればよいのですが、
はい。わたしは、ちっとも読まずにおりました。
読まずにおりますが、気にはなっておりました。
ですので、よさそうな入門本があれば買います。
「林望が能を読む」(青土社・1994年)が古本で300円。
買うことにしました。森田拾史郎の写真も載っています。
最初の8ページが、森田氏のカラー写真。
翁の面の姿も、鬼の面が柱のそばに立っている姿も、
すり足の足袋のアップの写真もが、スッキリとして、
残像として残るようにして、見る者に入ってきます。
公演のパンフレットに、15年間、林さんが書いたものを
あらためて一冊とした旨が「あとがきに代えて」にありました。
「私がまだ二十歳代の頃のことである。
津村禮次郎師が、なにげにそう勧めて下さった。」(p310)
こうして、あとがきには、はじめてパンフレットに書いた
エッセイが、そのまま引用されておりました。
題して『俳諧のなかの謡曲』。
興味ぶかいので、断片を引用してみることに。
「近世は非常に謡曲の流行した時代で、
身分の高きも卑しきも、此道に泥(なづ)まぬはなかった。
だから、俳諧を弄ぶ者達の間で、その共通の知識として、
謡曲の詞章が喜ばれたのである。」(p311)
その謡曲の詞章を俳句に入れるのを
「謡曲の『裁(たち)入れ』と呼ぶ。」とあります。
こうして、芭蕉などの初期の浅薄な『裁入れ』から紹介しながら、
パンフレットの最後は、こうなるのでした。
「・・『あらたうと青葉 若葉の日の光』
こう並べてみると、有名なこの句なども、
自ずから判然する処があろう。
例えば、『実盛』に『あら尊や、今日も又紫雲の立ちて候ぞ』
などあるのを想起すべきである。
『あらたうと』と発した声は、蕉翁の地声ではなく、
殷々たる謡声であったと観ずべきである。句を読む者は、
忽ちに起る耳底の諷声を聴くべきである。
即ち『あら尊』は謡曲の人工美を経た感動であって、
自然に湧噴せる賛歎ではない。
が、それでよい。それを知ることが、
古人と歎感を共にする所以であると信じるからである。」
「このパンフレットは、昭和53年11月11日の公演当日に
会場で配られたが、ほとんど誰の注意も引かなかったばかりか、
むしろ一般にはすこぶる評判が悪かった。
難しすぎる、というのである。
しかし、津村師は、いっこうに平気で、それから公演のたびに、
例会であれ、別会であれ、または地方公演であれ、後援会であれ、
いつでも私に演目の解説を書かせて下さった。」
めでたく、それをまとめて『十五年間に及ぶ仕事』を、
『すべての文章を思い切って大幅に書き改め』て一冊にした
とあるのでした。
はい。絶好の水先案内本と出会ったのかもしれない。