東日本大震災が、2011年3月11日でした。
本棚から取り出した長谷川櫂著「震災歌集」(中央公論新社)は、
2011年4月25日初版でした。その「はじめに」には
「・・そのとき、私は有楽町駅の山手線ホームにいた。
高架のプラットホームは暴れ馬の背中のように震動し、
周囲のビルは暴風に揉まれる椰子の木のように軋んだ。
その夜からである。荒々しいリズムで短歌が次々に
湧きあがってきたのは、私は俳人だが、なぜ俳句でなく
短歌だったのか・・。『やむにやまれぬ思い』というしかない。」
つぎにでる、長谷川櫂著「震災句集」(中央公論新社)の初版は
2012年1月25日でした。この句集の最後に「一年後」という4頁
ほどの文がありました。そこからも引用しておきます。
「・・あの日から十日あまりの間は短歌が次々にできた。
・・・俳句は極端に短いために言葉で十分に描写したり
感情を表現したりすることができない。
短歌に比べれば、俳句は『かたこと』なのである。
そこで言葉の代わりに『間』に語らせようとする。
『間』とは無言のことであり沈黙のことだが・・・・
そうした『間』がいきいきと働くには空間的、時間的な
距離(余裕)がなければならないだろう。
俳句にあって短歌にないもうひとつの特色は
俳句には季語があるということである。季語とは
雪月花をはじめとして文字どおり季節を表す言葉
のことだが、季節は太陽の運行によって生まれる。
ということは季語には俳句を太陽の運行に結びつけ、
宇宙のめぐりのなかに位置づける働きがあるわけだ。
俳句のこうした特性のために、俳句で大震災をよむ
ということは大震災を悠然たる時間の流れのなかで
眺めることにほかならない。それはときに非情なも
のとなるだろう。
大震災ののち十日あまりをすぎると、短歌は鳴りをひそめ、
代わって俳句が生まれはじめた。しかし、『震災句集』を
つくるのに一年近くかかった・・・・
また句集の初めと終わりに二つの新年の句を置いたのも
これとかかわりがある。どんなに悲惨な状況にあっても
人間は食事もすれば恋もする。それと同じように
古い年は去り、新しい年が来る。
以上が短歌と俳句の違いをめぐって、
この一年間に私が考えたことのあらましである。
しかし、中国の詩人は杜甫も李白も
内容と気分に応じて五言と七言、さらに四句の絶句と
八句の律詩を自由自在に使い分けた。これをみれば、
短歌と俳句の違いとはいっても、
それほどのものでもないと思えるのである。・・・」
はい。せっかく本棚から長谷川櫂(はせがわ・かい)氏の
「震災歌集」「震災句集」の二冊をとりだしてきたので、
しばらくは、身近に置いておくことにします。