桑原武夫は、亡くなる5年ほどまえに、
『柳田さんと私』という講演をしておりました。
そのなかに
「柳田さんは83歳になって『故郷七十年』という
一種の自叙伝を口述筆記でお書きになっております。
・・・柳田さんはそこで、自分の一生はいわば
一つの大きな川の流れであるといっています。
・・・あの文章(故郷七十年)は曖昧模糊として
ちっともわかりません。井上ひさしさんも柳田さんの
文章は読みにくい、何が書いてあるのやらさっぱりわからない
と書いている。井上さんはそれは、先生が俳諧を体得されて、
それを自分の民俗学にたくさん使っていらっしゃるのが癖に
なったからではないかという解釈をしておられます。・・・・・
(柳田国男の文章を)読んでいると、
私などはもう相当年のいった人間ですから、そこから
自分の幼いときのことがいろいろ思い浮かびます。
友だちのことをツレと言うとか、お茶の子さいさいとか、
女の人が好きな男の人にお酒を差すことを思い差しというとか、
・・・・・
そういう私どもが幼いときに使っていた言葉がつづってあって、
そこから一つの世界が出てくるのですけれども、しかし、
それではどういうことを相手に訴えようとなさっているのか、
それが必ずしも全般的にはわからないところがあるのです。
柳田国男における文体の研究を、ぜひどなたかに
やっていただきたいと思うのです。・・・・」
( p14~16「日本文化の活性化」岩波書店・1988年 )
ちょっくら、引用が長くなりましたが、ここに
『 自分(柳田国男)の一生はいわば一つの大きな川の流れで・・ 』
とある。
そういえば、柳田国男の『故郷七十年』(朝日選書)のはじめの方に、
『布川時代』と題して利根川のことが出て来ておりました。
「私は13歳で茨城県布川(ふかわ)の長兄の許に身を寄せた。
兄は忙しい人であり、親たちはまだ播州の田舎にいるという
寂しい生活であったため、私はしきりに近所の人々とつき合って、
土地の観察をしたのであった。布川は古い町で・・・」(p37)
その利根川について、一読忘れられない箇所があるので、
うん。この際、何度でも引用しておくことに。
「さて益子から南流する小貝川は泥沼から来るので、
利根川に合流すると穢(きたな)くもあるし、臭くもなってしまう。
ただ一つ鬼怒川だけは、実にきれいな水の流れであった。
奥日光から来るその水は、利根川に合流しても濁らなかった。
舟から見ても、ここは鬼怒川の落ち水だという部分が、
実にくっきりと分かれていてよく判る。・・・・・・
布佐の方ではあまり喧しくいわないのに、布川では、
親の日とか先祖の日には、このきれいな鬼怒川の水をくみに行った。
布川は古い町なので、一軒一軒小さな舟を持っていて・・・
こういうものの日には小舟で行ってくんできて、
その水でお茶をのむことにしていた。
普段は我慢して、布川の方へ寄って流れている
上州の水をのんでいるのである。
上州の水が豊かに流れているその南側を
小貝川の水が流れ、それを通り越して千葉県によった所に、
鬼怒川の流れが、二間幅か三軒幅に流れているのであった。
・・・・・ 」( p55~56 )
うん。『大きな川の流れ』から
『実にきれいな水の流れ』が思い浮かびました。
那珂太郎の「尾形仂と『歌仙の世界』」に
昭和20年のことが書かれております。
「 3月9日には東京に大空襲があり、死者七万をこえる
惨状の詳細は伝えられていなかったが、予備学生出身で
江田島にいた仲間の一人のところに、
≪ 家族ミナ爆死ス ≫という電報がとどいた。・・・
その電報の受取人が他ならぬ尾形氏だったのだ。
当時彼の御両親の家は東京の下谷区谷中三崎町にあったのだが、
家もろとも文字通り家族全員が爆死されたのである。
( 彼の第一著書『座の文学』扉裏には
『本書を空爆の犠牲になった両親の霊にささぐ』
との献辞がしるされてゐた。 )
その後彼の(私も同じ)赴任先の海軍兵学校は
長崎県針尾から防府へ移るが、そこで彼の属していた
生徒館は米軍の焼夷弾攻撃のために焼亡してしまふ。・・・
焼跡から軍刀を下げて一人歩いてくる尾形氏の姿が、
今なお私の脳裡には焼きついてゐる。
・・・・・・・・・・
・・・尾形氏の経歴をしるしたのはこの温厚篤実な学者が、
弱年期の戦中から少からぬ悲運や労苦をかさね、決して
坦々たる平穏無事な学究の道を歩いたのではないことに、
大方の注意を促したかったからに他ならない。
尾形氏の学識の広さと、緻密で隙のない研究態度は
よく知られてゐるが、俳諧といふ専門領域ばかりではない、
よりひろやかな文学の世界に関心を保持し、つねにその
人生的意味を問ひつづける彼の志向の根柢には、右に見たやうな
尾形氏自身の経験的素地があったのだといはなければならない。」
( p277~278 尾形仂著「歌仙の世界」講談社学術文庫 )
うん。『大きな川の流れ』と『実にきれいな水の流れ』。
那珂太郎さんのこの解説を読んだあとでした。
その流れのことを、思い浮かべておりました。