和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

芭蕉の命名。柳田国男の題名。

2022-04-09 | 柳田国男を読む
岩波文庫の柳田国男。
「遠野物語・山の人生」の最後には、
桑原武夫氏の文が2つ。
「『遠野物語』から」(「文学界」1937年7月号)からの再録と、
それからそのあとに、桑原武夫による文庫解説(1976年3月)。

はい。何だか、本文が絵画だとすると、
桑原武夫の2つが、りっぱな額縁に見えてきます。

さてっと、それなら岩波文庫の『木綿以前の事』は
どなたが、解説を書いているかというと益田勝実氏。
うん。この益田氏の解説を、改めて読めてよかった。
まるで、この本のねらいを柳田国男の晩年までをも視野に置き、
人生の全体を、掬い取ってゆくそんな胸のすくような解説です。

ここでは、題名の『木綿以前の事』にかかわる箇所だけを引用。
うん。これだけでいたれりつくせりの内容。私はもう満腹です。

「・・・考えてみると、いまはもう化繊・混紡の時代で、
 木綿の時代でもなくなっている。一時代かわったのだ。

 木綿の時代からは前代であった麻の時代が、
 いまからは前々代ということになる。


 そのこととかかわってくるが、≪ 木綿以前 ≫といえば
 麻のことのはずなのに、『木綿以前の事』は、
 麻の着物のことを書いたものではない。書いてあるのは、

  はんなりと細工(さいく)に染まる紅(べに)うこん 桃隣

 という、上方特有のことば『はんなりと』をうまく生かした句に
 託された、木綿への心情を堀り起こすところからはじまる、
 麻から木綿への過渡期における木綿を求めるこころのことである。

 ≪ 木綿以前 ≫という、麻でもなく木綿でもない言い方を登用し、
 ≪ 木綿以前の時代 ≫などとせず、『木綿以前の事』というのは、

 歴史を動かすものがなにか、木綿へおもむく人びとの心のなかで
 作り出されていく新しい営みが、しだいに波及することを、
 つかみとりたかったからだろう。

 柳田国男の民俗学では、≪ 木綿以前の事 ≫という用語・命名があり、
 麻の時代でなく、木綿の時代でもなく、その過渡期を相手どる
 ということが、ごくあたりまえに感じられるが、

 今日の民俗学一般の研究のあり方からすれば、
 それは異例、特異の現象である。

 日本民俗学は柳田国男がきりひらいた。
 しかし、今日の日本民俗学の一般状況を基準にしていえば、
  『木綿以前の事』は、
 さまざまな点で民俗学になじまない(法曹界の言い方を借りていうと)、
 そういうことになりそうである。   」( p298~299 )


はい。これを引用すると思い浮かぶのは、
柴田宵曲さんの芭蕉に関する文でした。

「芭蕉は自ら俳諧撰集を企てたことは無かったが、
 俳書といふものに就ては或意見を持ってゐた。

 例へば俳書の名の如きも。
 『和歌、詩文、史録、物語等とちがひ俳言有べし』
 といふので、『虚栗』以下、芭蕉の名づけたものは
 皆さういふ特色を具へてゐる。・・・・」
            ( p57「柴田宵曲文集」第一巻 )


う~ん。益田氏の解説をさらに引用したくなりました。
この単行本(文庫)のことを語ります。

「『木綿以前の事』に関していうと、
 「木綿以前の事」から「生活の俳諧」までの諸章のいたるところで、
 『芭蕉七部集』が縦横に使われて、俳諧だけが教えてくれる近世の
 常民のたたずまい、心づかいの動き方を追っているのも、
〈 あまりに詩人的な 〉ことと受けとった民俗学徒があったかもしれない。
  ・・・・・・・・

 他の伝承資料ではつきとめえない、前代の人びとの心のふるまいが
 わかる、かけがえのない前代への通路という民俗学的な接近が中心で、
 単なる好みからの俳諧との交わりではない。・・・・・・

 そのへんも、民族の暮らしのなかの心づかいを、
 歴史を動かしていくいちばん大きな力、と見ている柳田と、

 眼に見えず、探りようのない心づかいは、
 なんとも相手どりにくいと考えている側との、
 〈 民俗 〉というものに対する了解のちがいが、
 眼につくことがある。・・・   」( p394 )


うん。ということで、柳田国男著『木綿以前の事』をよみながら、
芭蕉の『俳諧』をも、同時に読みすすめないといけなさそうです。
そうでないと、いきなり題名でつまづいてしまうかもしれません。



コメント (2)
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