柳田国男『故郷七十年』に、ご自身の13~14歳の頃が語られておりました。
うん。気になったので、さっそく古本で注文した新書が届く。
藤原和博『僕たちは14歳までに何を学んだか』(SB新書・2019年)。
その『はじめに』から引用。
「・・・・よく現場を知らない教育評論家が、
学校をもっと自由にクリエイティブにとか、
創造性教育をやらない学校はいらないなどと
高邁な理想論を鼓舞することがある。
しかし・・・・
アインシュタインは言葉の発達が遅く家政婦から
おバカさん扱いされることもあったというし、
エジソンは今でいう不登校だった。
ビル・ゲイツもよく知られているように
アスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)で
人付き合いが下手だったと聞く。
オリンピックで活躍するフィギュアスケートの
羽生結弦くんも体操の内村航平くんも、
将棋の藤井聡太くんも卓球の張本智和くんも、
学校がその特色を育てたわけではないだろう。
才能を突出させるキッカケはいつも家庭環境だったり、
ストリートだったりで、のちに少年たちが夢中になって
自覚的に突っ込んでいったときに邪魔しないのが一番なのだ。
・・・・・ 」( p9~10 )
この『邪魔しないのが』が気になり『あとがきにかえて』
の方をパラりとめくると。この新書の4人へのインタビューを
ふりかえって、藤原さんはこう書いておりました。
「もう一つの特筆すべき共通点は、
『根拠のない自信』を持っていることだ。・・・・
それが母親でなくともいいのだが、 誰かに無条件に愛された経験は、
わからない世界に向かっていく『根拠のない自信』の基盤になってい
るような気がしてならない。・・・・
子どもが何かに没入し、集中して向かっていくときに邪魔しないこと。
できたら、その突進を応援してあげること。・・・・
キミの存在そのものが自分にとっての喜びなんだ。
生きて、世の中の常識と戦ってあがいてくれているだけでいい。
そんなふうにドーンと構えていること。・・・ 」( p195~196 )
この『根拠のない自信』というキーワードが気になる。
それを普段の生活のどこで養うのか?
思い浮かんだのは俳諧のことでした。
「 たとえば俳諧の主題としては、
俗事俗情に重きを置くことが、
初期以来の暗黙の約束であるが、
これがかなり忠実に守られていたお蔭に、
単なる民衆生活の描写としても、
彼(芭蕉)の文芸はなお我々を感謝せしめるのである。」
( p203 「新編柳田国男集第九巻」 )
不安の増殖をはぐくむ記事には事欠かないご時世に、
『我々を感謝せしめる』ほどの自信の創造の現場が、
どうやら、芭蕉俳諧のなかに探せそうな気がします。
はい。ちなみにこの新書の、本文は読んでいません。