和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『中二病』と、柳田国男。

2022-04-20 | 柳田国男を読む
あれ。たしか、中学二年生について、
小田嶋隆さんの本にあった気がするのですが、
探せなくって、かわりにこんな箇所がありました。

「 記憶は、輪郭が薄れて、ほかの記憶とまぜこぜになった頃
  になってはじめて、利用可能なネタになる場合が多い。

  ということはつまり、若い頃の読書が収穫期を迎えるのは、
  40歳を過ぎて以降なわけで・・・・・

  読書の記憶は、20年の熟成期間を経て、まったく別の文脈の
  中によみがえる、よみがえるのは、必ずしも正確な記憶ではない。
  が、かまうことはない。記憶の混濁は、別の見方をすれば、
  オリジナリティーだからだ。  」
      (p132 「小田嶋隆のコラム道」(ミシマ社・2012年)


もう40年くらい前になるかなあ、小林秀雄の「信ずることと知ること」
という講演に基づく文を読んだことがあります。
その中で、柳田国男の「故郷七十年」が紹介されておりました。
はい。せっかくなのでその箇所を長めに引用してみます。

「この間、こちらへ来る前に柳田国男さんの『故郷七十年』といふ
 本を読みました。前から聞いてゐたのですが、まだ読んでゐなかった。
 この『故郷七十年』といふ本は、この碩学が八十三の時の口述を筆記
 したもので、『神戸新聞』に連載された。昭和33年の事です。

 その中にかういふ話があった。柳田さんの十四の時の思ひ出が書いて
 あるのです。その頃、柳田さんは茨城県の布川といふ町の、長兄の
 松岡鼎さんの家にたった一人で預けられてゐた。その家の隣に小川と
 いふ旧家があって、非常に沢山の蔵書があったが、身体を悪くして学校
 にも行けずにゐた柳田さんは、毎日そこへ行って本ばかり読んでゐた。」

このあとに、旧家の庭の小さな祠の話となります。
その祠と柳田さんの体験をとりあげた小林秀雄さんは、

『私はそれを読んだ時、感動しました。
 柳田さんといふ人が分ったといふ風に感じました』

と、どうやら講演で語ったもののようです。
そのあと続く箇所では、こうあります。

「もっとも、自分には痛切な経験であったが、
 こんな出来事を語るのは、照れ臭かったに違ひない。
 だから、布川時代の思ひ出は、
 『馬鹿々々しいといふことさへかまはなければいくらでもある』
 と断って、この出来事を語ってゐる。
 かういふ言ひ方には、馬鹿々々しいからと言って、
 嘘だと言って片付けられない、といふ含みがあります。

 自分は、子供の時に、ひときわ違った境遇に置かれてゐたのが
 いけなかったのであろう、幸ひにして、其後、実際生活の上で
 苦労をしなければならなくなったので、すっかり布川で経験した
 異常な心理から救はれる事が出来た、布川の二年間は危かった、
 と語っている。」

小林秀雄さんは、この「故郷七十年」をきっかけにして、
柳田国男の「山の人生」やら「遠野物語」、「妖怪談義」と、
結局のところ、この講演は、柳田国男の話が続いて終わります。

さてっと、布川時代の2年間は、柳田国男が13歳と14歳のときでした。
うん。今でいえば中学生の頃のことになります。
小林秀雄は、柳田国男を語るのに、その年齢の柳田国男を起点として
語り始めていたのでした。
だれでも経験する中学二年生なのですが、
柳田国男にとって、布川時代がどうやらそれにあたるようです。

う~ん。中学二年生のころの私はというと、
寝過ごしたように、ちっとも思い出せなく、
情けないやら、哀しいやら、味気ないやら。

コメント (2)
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