和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ランドセルとリュックサック。

2022-04-14 | 本棚並べ
一年ぶりかなあ。昨日は東京へゆく。
年末から年始にかけて、引越ししたのを拝見がてら、
引っ越し祝いという名目でゆく。といっても、
途中で弁当を買ってゆき、そこで食べるのが目的。
せっかく出かけるので、一日楽しめるように、
午前5時の高速バスを予約。目的地は葛飾四つ木。
東京で地下鉄に乗り換えて、四ツ木駅で下車。
それから引越し先までは徒歩で15分くらい。
歩いていると、ちょうど、歩道橋を渡る時に、
小学生の通学児童の列にはさまっての上り下り。
はい。小学生はランドセルをしょっている。

脇道を通っていると、新中学生らしき小さな男の子が、
大きなリュックを制服の後ろにさげて登校中の姿をみかける。

はい。地方にいると過疎化でね。
地域の小・中学校が閉校となり、
園児や小・中学生は、通学バス。
並んで小学校へゆく生徒の姿や、
バラバラと学校帰りの生徒が寄り道しながら帰って来る姿を
そういえば、最近とんと見かけなかったことが、思い浮かぶ。

さてっと、夜になって家へ帰ってきて。
ランドセルとリュックが印象に残ったとみえて、
今日、目が覚めると思い浮かんだのが、
中村草田男の俳句と、それにまつわるエピソードでした。
以下に司馬遼太郎の言葉を引用。

「 『降る雪や明治は遠くなりにけり』
 草田男は明治34年の生まれでしたが、松山の人であります。
 大学生であることを30歳ぐらいまで続けていた暢気な人でして、

 たしか私は草田男の文章で読んだ記憶があるのですが、
 青山付近を通っていて、青山南小学校の生徒たちがランドセルを
 背負って校門から出てくるのを見ながら、この俳句が浮かんだと。
 それ以上のことはよくわかりません。・・・・  」
       ( p163 「『昭和』という国家」NHK出版 )

背負うといえば、徳川家康遺訓とか、二宮尊徳像とか、
読んだこともない強力伝とかが、思い浮かぶのですが、
はい。重くならないようにここでの引用は変化球です。

林望著「ついこの間あった昔」(弘文堂・平成19年)に、
行商のオバサンを思い出している箇所があるのでした。

「私は東京で生まれ、東京で育った。 生まれは亀戸という下町で、
 まもなく大田区の石川町というところに引き移った。ここで
 小学校の4年生まで過ごし、その後は武蔵野市に開かれた
 大きな住宅公団のアパートに引っ越したのだが、
 それがちょうど昭和の34年だったかと思う。

 この海からは相当に隔たった武蔵野の団地までも、
 海辺のオバサンたちはやってきた。

 千葉の岩井のあたりから電車に乗って、まだのんびりと
 蒸気機関車なども走っていた中央線の線路の上を、
 たぶん総武線の各駅停車に乗って、彼女たちは
 はるばると海の幸を運んできたものだった。

 一週間に一度くらいの割合だったろうか、
 まっくろに日焼けして、約束事のように
 手ぬぐいで姉さん被りをし、モンペに割烹着、
 それに前掛けをかけてというような姿で、
 いつも同じオバサンがやってきた。

 こういう都会の家庭相手の行商では、
 オバサンの籠のなかには、海の幸山の幸が
 あれこれ混在して詰められている。・・・

 彼女たちの場合は担い籠を三つも四つも重ねて、
 その全体を大きな風呂敷で包み、さらにそれを
 背負子(しょいこ)のようなものに帯のような
 紐で括り着けてやってきた。

 玄関先で、よっこらしょっ、と背から荷を下ろすと、
 たいてい『やーれやれ』というようなことを言った。

 子供心に、こんな小さなしなびたようなおばあさんが、
 背丈ほどもある大荷物を背負って歩くんだから、
 なんだかかわいそうな気がした。おそらく、
 そういう同情もいくぶんあって、
 行商のオバサンがやってくると、
 母などは、ずいぶんあれこれと買ってやるのだった。
 ・・・・            」( p215~216 )

このあとも、オバサンと母との会話やら、トコブシやら
棒秤の使い方やらが林望さんの記憶から引き出されてゆきます。
うん。そちらも、ついつい引用したくなるのですが、ここまで。

え~と。小学生とランドセルから、中村草田男の句。それに
小さな中学生の大きなリュックから、林望の「オバサンがやってくる」。
という連想でした。リュックサックといえば、もうひとつ、
思い浮かんだ場面があるのでした。最後にこちらも引用。

それは梅棹忠夫著作集第16巻の月報19に載っている
四方治五郎の三高の頃の思い出のなかにありました。

「この年の夏の登山で彼は南アルプスに一ケ月近く登って来て、
 その後で我々の北アルプスのパーティに加わったのである。
 
 上高地の河童橋付近で落ち合ったのであるが、
 彼の60キログラムのリュックサックは彼の背丈近くあり、
 彼(梅棹)がそれをかつぐにはまずリュックサックを
 地面に背側を上にしたおき、その上に彼が仰向けにのり、
 リュックサックの紐に肩を通した後立ち上がるといった光景で、
 道行く人も目を見張って見ていたことを思い出す。・・・」(p7)


はい。本の中なのですが、どの場面も印象に残っておりました。
う~ん。こういう連想をただ羅列するだけじゃなくって、こんな、
連想の転換の妙を、これから私は俳諧に学ぼうとしているのかも。
コメント
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