和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

芭蕉俳諧に、司馬さんの書庫。

2022-04-21 | 柳田国男を読む
柳田国男の「生活の俳諧」。そこに
芭蕉一門の俳諧へと言及する箇所が印象深い。

「 豊富な資料は我々のために取残されている。
  この翁一門の俳諧に感謝しなければならぬことは、

  第一には古文学の模倣を事としなかったこと、
  ロマンチックの古臭い型を棄て、同時に
  談林風なる空想の奔放を抑制したことである。

  そうしてなお凡人大衆の生活を俳諧とする、
  古くからの言い伝えに忠実であったことである。

  それから最後には描写の技術の大いなる琢磨、
  ことに巧妙という以上の写実の親切である。

  彼の節度に服した連衆の敏感を利用したとは言いながらも、
  とにかくに時代の姿をこれほどにも精確に、
  後世に伝え得た者も少ない。

  西鶴や其磧(きせき)や近松の世話物などは、
  共に世相を写し絵として、くりかえし引用せられているが、
  言葉の多い割には題材の範囲が狭い。

  これと比べると俳諧が見て伝えたものは、
  あらゆる階級の小事件の、
  劇にも小説にもならぬものを包容している。
  そうしてこういう生活もあるということを、
  同情者の前に展開しようとする、作者気質には
  双方やや似通うた点があるのである。・・・・」
        ( p213~214 「新編柳田國男集」第九巻 )

そういう芭蕉俳諧の説明を理解しようとせずに、
なあに、かまうことはない、現代へと飛躍して、
ここに、司馬遼太郎の書庫を思いうかべてみる。

谷沢永一氏に「司馬さんの書庫・蔵書を探検する」という文。
そこに指摘されている書庫への谷沢さんの眼差しが気になる。
まずはここいらあたりから引用。

「 戦後の百科事典はすべて偏向している上に、
  事実を明細に押さえた記述に乏しいから頼れないと、
  つねづね洩らしておられて由・・・」

こうして、谷沢さんは地方誌へと言及してゆくのでした。

「 書庫を通覧したあとようやく悟ったのだが、この廊下の
  両面を占める壮観が、司馬蔵書の眼目であり臍であった。
  すなわち日本全国すべてにわたる地方誌の一大蒐集である。

  長澤規矩也の『図書学辞典』は地方誌を
  『全国的な通誌に対して一地方の地誌』、そして、
  地誌を『人文地理の書』と簡潔に説明している。
  ・・・・・

  地方誌の模範は幸田成友を編纂主任とする
  『大阪市史』(大正2~4年)であるとされているが、
  これ以後というもの堰を切ったように、各府県市町村が
  競争で地方誌の刊行に血道をあげるようになった。
  ・・・・・・

  このように地方誌と地方叢書が一体となって、
  歴史と文化の事績が明細に伝えられるようになったのは、
  近代期の熱意が結晶した修史の一大成果と言えよう。

  これが日本民族の足跡を如実に伝える宝庫であると眼をつけ、
  縦横に活用した恐らく最高の実例が司馬さんの諸作品なのである。」
      ( p23~24 谷沢永一著「読書人の点燈」潮出版社 )

はい。
芭蕉の時代の俳諧のつぎに、
司馬遼太郎の時代の書庫の、
地方誌の宝庫を置いてみる。

べつに、かまうことはなく
俳諧のように、楽しみます。

ひとりは、芭蕉で
『 そうしてなお凡人大衆の生活を俳諧とする、
  古くからの言い伝えに忠実であったことである 』

つぎには、司馬遼太郎の書庫。
『 これが日本民族の足跡を如実に伝える
  宝庫であると眼をつけ、縦横に活用した・・ 』

うん。こうして芭蕉門人たちが俳諧をしている場面が、
いつのまにか、司馬さんの書庫に並ぶ地方誌の場面に。
はい。おそるおそる、連想の場面転換をひとり楽しむ。



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