和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

自称職人・佐藤忠良。

2022-07-12 | 本棚並べ
安野光雅著「絵のある自伝」(文芸春秋)が
古本で安かったので、単行本の方を買うことに。

パラパラひらくと、「佐藤忠良」と題する文がある。
単行本で3ページ。4㌻目には60才の自画像デッサン。
はい。一読忘れがたいので引用することに。
はじまりは

「 彫刻家の佐藤忠良(ちゅうりょう)さんが、
  2011年3月30日、98歳で亡くなった。・・・・・

  彫刻家だが、頼まれて『おおきなかぶ』(福音館書店)
  という絵本も描いている。たとえば綱を引く人間を描いても
  押しているように見えるので納得の行くまで描き直したという。
  ・・・・・・
  
  佐藤さんは職人だ、と自称している。なぜなら
  粘土をいじってばかりいるからだそうだ。・・・・・ 」(p206)


シベリア抑留に触れた箇所が印象深い。
1992年の夏、佐藤さんが抑留されていたバイカル湖
のほとりまで安野さんといっしょに出かけた際のこと。

「 シベリア抑留時代は、佐藤さんの生涯を決定づけた。
  その現地には、44年ぶりの再訪だという。このとき、

  ロシアのテレビ局が取材に来ていた。そして
  『シベリア抑留生活は大変だったでしょう』と聞かれた

  佐藤さんは、わらって

  『 彫刻家になるための労苦をおもえば
    あんなものはなんでもありません  』
   
   といってのけた。・・・・・

   佐藤さんがシベリアで開眼したのも、
   ただきれいな肖像彫刻ではなかった。
   そして『群馬の人』『常磐の大工』などが生まれた。 」


うん。わたしの地元でも、シベリア抑留から帰った方がおられました。
もう、亡くなられましたが数人の方の顔が思い浮かびます。

わたしたちの世代は、戦後生まれなのですが、

戦後『・・・の労苦をおもえばあんなものはなんでもありません』
という気構えで戦後を過ごされた方々の背中を見てきた世代でもあります。

そんなことが思えてくる言葉として読みました。
安野光雅さんの3ページの文の最後の方でした。

「 その佐藤さんが

  『彫刻家と人が認めてくれたとき、五十歳を越えていた』

  といわれたことばの重さをおもう。
  佐藤さんでも誰にでも若いときがある。
  百歳まで努力を続けても、
  大成するかどうか誰にもわからないのだ。・・・ 」( p208 )


そして、次のページに、60歳の佐藤忠良の自画像のデッサン。 







  
  
コメント (6)
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