まど・みちお『風景詩集』(かど創房・昭和54年)に
詩「もうすんだとすれば」がはいっておりました。
この詩集の、装幀画=まど・みちお。
詩だけでは、現わせきれない世界が、
自身の挿画にも展開されるのでした。
「YAMAGUCHI MAO 山口マオ作品集」(玄光社・2022年7月19日)
というのを手にしました。そこに2ページの対談が載ってる。
葛西薫×山口マオ。ちなみにマオ猫といえば気づく方がいるかもしれない。
絵本の画を、マオさんは描いている。
いきおい、絵本の話になっておりました。
マオ】 ・・・・絵本は、いいものを作りたいという
情熱がないと続けられないですね。
葛西】 芯から絵が好きじゃないとね。
マオ】 そうですね。絵本は誰でも出来るものではなくて、
書き手の気持ちにならないと描けない。
かと言って、逆にサービスをしすぎても、
説明しすぎてもだめでしょうね。
少し不器用なくらいの方がいいのかも。
僕はどちらかと言えば不器用なほうです。
・・・・・・・・・・・
マオ】 ・・・・特に、いい文章だと、読んでいるうちに
絵が思い浮かんで来るんです。
葛西】 それはすごい話だなあ。
確かにいい文章やいい言葉に出合うと、
僕も絵が生まれますね。言葉に触発されるというか、
言葉が醸す空気なんでしょうね。
( p117 )
この夏の私は、初山滋に惹かれ、彼が描いた絵本なども
気になれば、ポツリポツリとネット古本で購入してます。
つい最近手にしたのは、函入りでした。
フレーベル館「新しい子どものうた3 ことりのうた」(1971年)
別冊として楽譜集がついている。
各ページ見開き2ページに歌の活字があり、どの歌の絵も初山滋。
もちろん、表紙絵・初山滋。
この本の歌を、ならべておきます。
ことりのうた・めだかのがっこう・おはながわらった
みつばちぶんぶん・ぶらんこ・もりのよあけ・おほしさま
トマト・ちいさいあきみつけた・こなゆきこんこ・こもりうた。
はい。各見開きごとに、ちがう絵の初山滋。
うん。どういったらよいのか。作詞者が何よりもこの絵の最初の読者。
そういいたくなるような、歌と絵とで完結した世界が醸し出されます。
その緊密な、歌と挿画のコラボを、いっしょに楽しませてもらう一冊。
竹迫祐子編「初山滋」(河出書房新社・らんぷの本・2007年)。
そのはじめに、初山滋の言葉がありました。そのはじまり。
「 私は、自分の仕事のすべてを童画にささげているが、
自分の仕事を窮屈にかんがえてはいない。
私は自分の絵の中に、たのしくねっころがって遊んでいる。
時には絵の中に甘えた自分の心が、子供のように
茶目振りを発揮していることがある。かと思うと・・・・・
・・・・・
絵を描いている私の心は、童心の世界を漫歩しているのだ。
これは実在の子供の世界とは違う。なんというのか・・・
言葉では言いあらわせぬ絵の中に甘え切れる心、
私は、いつもその用意をして筆をとる。・・・・ 」
非力な私に、本「ことりのうた」の、絵を説明できないのが残念。
せっかくなので、歌詞「ことりのうた」の一番を引用し終ります。
ことりのうた 与田準一
ことりは とっても
うたが すき
かあさん よぶのも
うたで よぶ
ピピピピ ピ
チチチチ チ
ピチクリ ピイ