和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

うたふべきことは

2024-12-15 | 詩歌
庄野潤三著「文学交友録」(新潮文庫)の最後は、

「 庄野英二。私より六つ年上の兄で・・ 」

と兄さんを取り上げておられます。
庄野英二と庄野潤三の兄弟を思い浮かべると、
何だか、作品『 明夫と良二 』みたいです。

弟の良二が唄う場面がありました。

「 庄野潤三著『 絵合せ 』をひらいていると、
  良二が歌う場面がでてきます。


 『  ・・三月中ごろの或る晩、その良二が不意に
    ≪ サンタ・ルチア ≫をうたい出した。
  ついさっき会社から帰って、ひとりで遅い夕食を食べた姉の
  和子も細君も彼も、みんな呆気に取られた。
  歌は途中でとまったが、和子は、

 『 いいわ。いいわ 』といい、もう一回うたってと頼んだ。
 『 どうしたの、それ? 学校で習ったの。全部うたえるの、
   原語で。大したものね 』
  すると、良二は音楽の時間に女の先生がうたってくれたのだといった。
 『 教科書にのっているの? 』
 『 教科書にのっているのは、ただの日本語なの。
   それで先生が、その、イタリア語でうたって 』
 『 教えてくれたの 』
 『 そう 』              」


庄野潤三著「文学交友録」の締め括りに≪ うたうことは ≫とあります。
その箇所をここに引用しておきたくなりました。

「 チャールズ・ラムの『 エリア随筆 ≫の巻頭を飾る『南洋会社』は、
 年少の日にラムが半年ほど見習いとして勤めていた会社に寄せる思いを
 しみじみと語った随筆であるが、その中でエリアは当時の同僚であった、
 それぞれ変った癖の持主である現金出納係や会計係の何人かの
 横顔を紹介したあとに、

   『 うたふべきことはまだ沢山残ってゐる 』 (戸川秋骨訳)

 というところが出て来る。
 『 文学交友録 』の終りの章を書いた私にも、エリアと同じように、

   『 うたうことはまだ沢山ある 』

 の嘆きが残る。取り上げなくてはいけない人を
 落しているのではないだろうか。だが、
 もう終りにすべきときである。
 これでお別れすることにしよう。    」(p409・新潮文庫)


こうして連載は終るのでした。ここからあらためて、
良二が唄っている場面を、思い浮かべておりました。


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