古本で長田弘詩集『 食卓一期一会 』が200円。
持っているには持っているのですが、いつのまにか、
黄色のシミがひろがり気になっており、買うことに。
こちらの古本はというと、シミもなくきれいでした。
はい。はじめての本のようにして『後記』を読む。
そのはじまりは
「 食卓は、ひとが一期一会を共にする場。
そういうおもいが、いつもずっと胸にある。
食卓につくことは、じぶんの人生につくこと。
ひとがじぶんの日々にもつ人生のテーブルが、食卓だ。
かんがえてみれば、人生はつまるところ、
誰と食卓を共にするかということではないだろうか。 」
ああ、こういう詩集だったのか。とあらためて思う。
後記の最後も引用しておくことに。
「 これらの詩を書く機会をつくってくださったおおくの方々に、
とりわけ『婦人之友』編集部に深く感謝する。
直接間接にはげましていただいた
安西均、石垣りん、鶴見俊輔、村本晶子の各氏に、
手がけていただいた原浩子氏に感謝する。 ( 1987年8月 ) 」
長谷川四郎読本「ぼくのシベリアの伯父さん」(晶文社・1981年)
という古本をひらいた時には、長田弘さんの詩がトップにありました。
最後には、その詩を途中から引用しておきます。
・・・・・・
じゅうぶんに火をとおす。
カラッと揚げることが
言葉は肝心なんだ。
食うべき詩は
出来あいじゃ食えない。
言葉はてめえの食い物だもの。
Kentucky Fried Poem じゃ
オ歯にあわない。
ぼくの伯父さん、あなたは
今日どんな言葉を食べましたか?
私といえば、この長谷川四郎読本の最初の詩を読み、
もう満腹で、いまだ、その先は読んではおりません。
こんな時は、そっと本棚へ『食卓一期一会』の並び。