和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

一生の病(やまい)じゃ

2024-11-01 | 詩歌
大村しげ著「こんこんさん遊びまひょ」(筑摩書房・1989年)の
副題は「京のあそびうた」とあります。

この本のあとがきは、こうはじまっておりました。

「 さあ、わたしといっしょにわらべ歌をお歌いになりませんか。
 あなた様の歌は、どんな文句でどんな節まわしでしたでしょうか。

 以前、わらべ歌は、いまのように採譜はされていませず、
 それは口から口へと伝わるものでした。

 それで歌う人によって少しずつ節も文句も違うところがありました。
 地域の別もありますし、家、家の違いもあります。・・・・ 」(p240)

採譜ということでは、
柳原書店の「日本わらべ歌全集」では、各歌に採譜が載っております。
「日本わらべ歌全集15」は「京都のわらべ歌」で、あとがきは、
高橋美智子とあります。そこから、

「 ・・わたしの生まれ育った三条高倉は京のほぼ真ん中で、
  わらべ歌は子供たちの暮らしの中にまだ生きていました。
  この本に紹介しました『旧京都市域』の歌も、
  ほとんどはわたしが毎日うたい遊んでいたものです。

  京に残るわらべ歌をすこしずつ五線譜に書くことをはじめて、
  もう20年になりますでしょうか。・・・  
   ・・・・ 昭和54年11月  高橋美智子  」( p340∼341 )


高橋美智子さんには、京都新聞社から出版された
「四季の京わらべ歌 あんなのかぼちゃ」(1998年)がありました。
そこに、『 よいさっさ 』があります。

「 ・・・わたしは残念なことに、
  この『 一丁まわり 』は見たことがありません。
  けれど、子どものころこの遊びをなさった方たちは、
  みなさん一様になつかしく話されます。
  明治生まれであったわたしの母も、

 『  隣の町内の一丁まわりと出合うとなあ、
   あんたとこよりうちの方が人数が多い言うて
   けんかしたり、ほんまに面白かったえ 』

   と、よく思い出しておりました。 」 ( p141 )


高橋美智子さんは、『 三条高倉 』なのですが、
大村しげさんのお母さんは、どこの生まれだったのか。
大村しげ著「こんこんさん遊びまひょ」から、「よいさっさ」を引用。

「 日ごろおっとりしている母が、
  この話をするときだけは、別人のように生き生きとしていた。
  それは、お盆にこどもが遊ぶよいさっさのこと。

  ・・・わたしのころにはもううちの町内ではなかったけれど、
  母があんまりたのしそうに話すもんやから、
  わたしまでが遊んだような気になっていた。
  ちなみに母は寺町の二条で生まれ育った・・・

    よいさっさ よいさっさ
    これから八丁 十八丁
    八丁目のごくりは
    こぐりにくい こぐりで
    頭のてっぺん すりむいて
    一貫こうやく 二貫こうやく
    これで治らな
    一生の病いじゃーい

   『 病いじゃーい 』というときは、いちだんと大きい声を出す。
   わたしも母といっしょに歌うた。   」


はい。もう少し引用させてください。

「 男の子は、家の定紋をつけたちょうちんを持って、
  5人ぐらいずつ、一列横隊に並ぶ。そして5人の前に
  さお竹を渡して、それにちょうちんをひっかけ、
  両手でさお竹を持つ。

  ちょうちんには、もう灯がはいっていて、
  そんな列が何列もできると、
  女の子はそのうしろへ続く、女の子にはちょうちんはないし、
  そやから、さお竹も持たしてもらえない。
  こうして、おとながついて、町内中を元気に回るのである。

  母は、いつも、あのさお竹がいっぺん持ちたかった、
  と、いうていた。・・・・
  母は明治24年の生まれである。そのころは、
  お町内ごとでよいさっさがあったという。   」(p104∼106)



ちなみに『一生の病』には、『女遊び』の意味合いもあります。
それはそうと、高齢者の『 一生の病 』という視点で、
最後に、白川淑著「京のほそみち あるきまひょ うまいまひょ」から引用。
それは『 ヨーイサッサ ヨイサッサ 』の歌にまつわる文でした。

「 わたしの母は東山区粟田に生まれたが、
  長く吉田山(徒然草の吉田兼好の庵)の近くに住んでいた。
  母が口ずさんでいたわらべ唄を・・・・・ 」

  このあとに『 よいさっさ 』の歌詞が載っており、
  そして最後を、白川さんはこうしめくくるのでした。


「 わたしもお年頃になり、肩が凝るとか、腰が痛いとか、
  昔の母の口ぐせを真似るようになった。
  貼ってみたり、叩いてみたり、いろいろと試している。

   『  まあとしやし、
     なおらんでもしょうがないえ、
      一生の病とおもうとおき。
     こけんように気ぃおつけやぁ  』
  
   母の声が聞こえてくる。     」( p211 )
    




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