和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

非常にいい感じの言葉

2025-02-06 | 本棚並べ
昨日は、主のいない家の裏の枝切り、及びドブ掃除。
それを午前中で終らせ、午後はマイナンバーカード更新で支所へ。
せっかく出たので、風が吹くなか、神社2社へとお参りに。
滝の口下立松原神社は、石段で、途中足がひっかかりつまずく。
普段運動をしてない私には、石段は心臓バクバクもので要注意。
かさねて、健康を祈願する。来年こそ、順調に上れますように。
つぎに、安房神社へ。そして5時頃に回転寿司で
早めの食事をすませて、家へ帰りお風呂を沸かす。
考えてみれば、ドブ掃除をし着替えただけでした。

廃刊になった『 諸君! 』について、気になるので
とりあえず、ある本を並べてみる。

白川浩司著「オンリー・イエスタデイ 『諸君!』追想」(小学館・2011年)
最終号『 諸君!』(文藝春秋2009年6月号)
「 諸君!の30年」(文藝春秋・1999年)
「司馬遼太郎が語る雑誌言論100年」(中央公論社・1998年)

4冊目の帯にはこうありました。
   「 ジャーナリズムがカチッとしていなければ
     芯のない世の中になってしまう  」 司馬遼太郎

たいてい、帯の言葉は、本文のどこかからの引用だと踏んで
その箇所をひらくと、ありました。
今回はそこを引用してみます。

粕谷】 ・・・マスコミという言葉はあっても、ジャーナリズムという
    言葉はあまり出てこない。言論というものは何なんだろうかと
    考える必要がありますね。マスコミとは違う、情報とは違う
    言論というのは何なんだろうかということを考える。
    そういう影響力を持つジャーナリズムといいますか、
    そういうことをいま考えることが、僕はやはり大事なこと
    じゃないかという気がしているのですが。

司馬】 そうですね。それだけが、つまり極端にいうと、
      将来への希望のロープになりますね。

   私よりずっと年上の人で、20年ほど前によくつきあっていた、
   岡本博さんという毎日新聞の記者がいました。
   40代のころは映画評論をやっていたと思いますが、すぐれた人です。
   ちょっと独特の語彙を持っている人でもありました。
   この人は何か重要なことを聞いたときに、よく言っていました。
   『 ああ、それはジャーナリスティックですね 』
   ジャーナリスティックという言葉は、アカデミックの反対の、
   いやな言葉として、戦前、学者の世界でよく使われた低い言葉でした。
   ところが彼は、非常に高い言葉として言っていましたね。
   だんだん聞き慣れてくると、こう考えるようになりました。
    ・・・・・・・・・・・・

   ジャーナリズムには、そこだけは空虚であり、エンプティ―な面が
   必要だということでしょう。いろいろな価値があって、
   エンプティ―のところを一つつくっておけば、
   非常に精選されたものが出てくる。その成果によって 間違いなく
   世の中が進むという意味で、彼は使っているのだろうと。

   僕はそう解釈して、非常に感動的に思ったことがあります。
   非常にいい感じの言葉でした。マスコミという言葉とは違うんですね。
   マスコミという言葉は、もともといろいろな関係を持ち合うことです。
   しかもだんだんパターン化していって、ファッションになっていく
   だけのものであり、ジャーナリズムという言葉とは違う。

   ジャーナリズムというものがカチッとしていなければ、
   芯のない世の中になってしまいますね。・・・・・
   芯のない世の中になったらどうなりますか。・・
   言論がもう一度見直されていい時期ですね。  」
          ( p87~88 「司馬遼太郎が語る雑誌言論100年」 )

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