今日は、朝五時発の高速バスで東京へ買い出し。
汗だくになり、トイレで半袖肌着を着替える。
うん。午後にはそうそうに帰ってくる。
さてっと、徒然草。
第155段をひらくと、思い浮かんぶ本がありました。
小林秀雄著「考えるヒント」(昭和39年)。そこに、
「青年と老年」と題する4~5頁ほどの文。
この文には、堀江謙一の名が登場します。
そうそう、今年2022年6月4日に83歳でヨットで
無寄港太平洋単独横断を達成の記事がありました。
その堀江謙一の名が登場する「青年と老年」です。
うん。ここは小林秀雄のこの短文を紹介することに。
まず、この短文のはじまりは、こうでした。
「『つまらん』と言ふのが、亡くなった正宗さんの口癖であった。
『つまらん、つまらん』と言ひながら、何故、ああ小まめに、
飽きもせず、物を読んだり、物を見に出向いたりするのだろうと
いぶかる人があった。しかし、『つまらん』と言ふのは
『面白いものはないか』と問ふ事であろう。
正宗さんといふ人は、死ぬまでさう問ひつづけた人なので、
老いていよいよ『面白いもの』に関してぜいたくになった人なのである。」
うん。こうして引用してみると、何んだか、
徒然草のどこかを読んでる気分になります。
さてっと、小林秀雄は、そのつぎに徒然草の第152段の
ことに触れて、その内容をちょこと紹介してからでした
「 徒然草のことを言ったからついでに言ふと、
兼好は、かういう事を言ってゐる。
死は向こうからこちらへやって来るものと皆思ってゐるが、
さうではない、実は背後からやって来る、
沖の干潟にいつ潮が満ちるかと皆ながめてゐるが、
実は潮は磯の方から満ちるものだ。 」
はい。これは随筆なので徒然草のどこにあるのかなんてことは
示してはおられなかったので、読後すっかり忘れておりました。
今回それが、徒然草第155段の最後にあるのだと了解しました。
せっかくですから、第155段の原文のはじまりとおわりとを引用。
はじまりは
「 世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし。 」
そして、おわりはというと
「 死期は、序(つい)でを待たず。
死は、前よりしも来(きた)らず、
予(かね)て、後ろに迫れり。
人皆、死有る事を知りて、待つ事、
しかも急ならざるに、覚えずして来る。
沖の干潟、遥かなれども、
磯より潮(しほ)の満つるが如し。 」
ちなみに、小林さんは、ここを『現代風に翻訳すると』
としてありますので、すこし端折って引用してみることに
「 死は向うから私をにらんで歩いて来るのではない。
私のうちに怠りなく準備されてゐるものだ。
私が進んでこの準備に協力しなければ、
私の足は大地から離れるより他はあるまい。
死は、私の生に反して他人ではない。
やはり私の生の智慧であらう。
兼好が考へてゐたところも、
恐らくさういふ気味合ひの事だ。
でなければ、あれほど世の無常を説きながら、
現世を生きる味ひがよく出た文章が書けたはずもない。」
このあとに、昭和37年度の、文学的一事件に数えられた
堀江謙一『太平洋ひとりぼつち』を語ってゆくのでした。
こちらも紹介してしまうと、徒然草の簡潔さがなくなる。
ここまで。ちなみに『考えるヒント』は文庫で読めます。
現世を生きる味ひがよく出た文章…」
無常の書でありながら、人生を豊かに生きるコツのようなものを学ばせてもらえます。
言ってることがぶれるような感じでも、
そこは何層にもなる思考の姿なのだろうととらえながら。
死は前からくるとは限らない、いつの間にかもう後ろに迫っている。
ドキッとさせられるのです。