雑誌Voice4月号が届く。
さっそく巻頭言と巻末言とを読む(笑)。
宮家邦彦氏の巻頭言は題して
「鉄腕アトムと空想的平和主義」。
鉄腕アトムの主題歌からはじまっておりました。
ここでは、この箇所を引用。
「第二次大戦後の日本では、国民的規模で
『平和憲法のおかげで戦争が発生しなかった』
という一種の誤解が生まれた。しかし、
仮想敵国が日本を攻撃しなかったのは、
憲法ではなく、
効果的な抑止力を提供する軍事同盟があったからだ。
戦後の空想的平和主義の公理に反するこうした議論は、
一般には認められていない。
・・・・
鉄腕アトムの主題歌には
『敵』『悪』『戦う』といった単語が見当たらないが、
科学の子・鉄腕アトムは人間を守るため、
毎週邪悪と戦ってきたはずだ。
心やさしい、だけでは平和は達成できない。
平和を乱す連中と戦わないかぎり、
平和は達成できないのである。」(p17)
巻末は渡辺利夫氏でした。
ここでは、この箇所を引用。
「漢字とは、究極の表意文字であり、
人間の思考を拘束し支配する力がある。
個人や社会という漢字には、
現実を離れて私どもの観念を
自在に操る専制の力が宿る。」
巻末言の最後の箇所はというと
「結婚、出産、育児といった
ライフサイクルをどう形づくるかは、
個人の自由な選択によるべきだという規範意識は、
日本の歴史や文化や伝統から
おのずと導き出されたものとは思えない。
個人の存在が絶対的なものだといわんばかりの社会が、
少子化を解決できるとは考えられない。
家族共同体の再生という実に重い課題を
背負わされているのが我が日本の憲法だ、
そう考えてみてはどうか。」
そうそう、巻末言の題は
「『言葉の専制』について」で
そのはじまり、
「憲法改正論議が高まりをみせているが、
議論は第九条ばかり。これはこれで大問題だが、
この機会にもう少し本質的な議論が提起されて
しかるべきだと私は考える。・・・」
こうなっておりました。
さっそく巻頭言と巻末言とを読む(笑)。
宮家邦彦氏の巻頭言は題して
「鉄腕アトムと空想的平和主義」。
鉄腕アトムの主題歌からはじまっておりました。
ここでは、この箇所を引用。
「第二次大戦後の日本では、国民的規模で
『平和憲法のおかげで戦争が発生しなかった』
という一種の誤解が生まれた。しかし、
仮想敵国が日本を攻撃しなかったのは、
憲法ではなく、
効果的な抑止力を提供する軍事同盟があったからだ。
戦後の空想的平和主義の公理に反するこうした議論は、
一般には認められていない。
・・・・
鉄腕アトムの主題歌には
『敵』『悪』『戦う』といった単語が見当たらないが、
科学の子・鉄腕アトムは人間を守るため、
毎週邪悪と戦ってきたはずだ。
心やさしい、だけでは平和は達成できない。
平和を乱す連中と戦わないかぎり、
平和は達成できないのである。」(p17)
巻末は渡辺利夫氏でした。
ここでは、この箇所を引用。
「漢字とは、究極の表意文字であり、
人間の思考を拘束し支配する力がある。
個人や社会という漢字には、
現実を離れて私どもの観念を
自在に操る専制の力が宿る。」
巻末言の最後の箇所はというと
「結婚、出産、育児といった
ライフサイクルをどう形づくるかは、
個人の自由な選択によるべきだという規範意識は、
日本の歴史や文化や伝統から
おのずと導き出されたものとは思えない。
個人の存在が絶対的なものだといわんばかりの社会が、
少子化を解決できるとは考えられない。
家族共同体の再生という実に重い課題を
背負わされているのが我が日本の憲法だ、
そう考えてみてはどうか。」
そうそう、巻末言の題は
「『言葉の専制』について」で
そのはじまり、
「憲法改正論議が高まりをみせているが、
議論は第九条ばかり。これはこれで大問題だが、
この機会にもう少し本質的な議論が提起されて
しかるべきだと私は考える。・・・」
こうなっておりました。
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