2月14日(水)に法事がありました。いつからか、
できるだけ、お坊さんについて声を出し読むようにしております。
意味はわからなくても、いいや。とりあえず、声を出し読みます。
読経とでは延ばし方が違っているため、お坊さんの読経に
あわすことができないのですが、それでもいいや。と思うことにしてます。
そのうち、それなりに印象に残る所があるものです。
こんかい、気になった箇所を、引用しておくことに。
三界(さんがい)は安き事無し。
猶(なほ)火宅(くわたく)の如し。
衆苦充満して甚(はなは)だ怖畏(ふゐ)すべし。
常に生老病死の憂患(うげん)あり。
是(かく)の如き等(ら)の火、
熾然(しねん)として息(やま)ず。
如来は已に三界(さんがい)の火宅を離れて、
寂然(じゃくねん)として閑居(げんこ)し、
林野に安處(あんじょ)せり。
今此三界は、皆是れ我有(わがう)なり。
其中の衆生は、悉(ことごと)く是れ吾子なり。
而(しか)も今此處は、諸(もろもろ)の患難(げんなん)多し。
唯(ただ)我一人(いちにん)のみ能く救護(くご)をなす。
はい。今回は、読経のこの箇所が気になりました。
久しぶりに集まって昼食を共に語りあっていたら、
この箇所も、すっかり忘れてしまっておりました。
今日になり、お経本をひらいておもいだしました。
読経される際には 私達も一緒に詠んで下さいと
言われるようになりました。
ただ聴いているだけでは いつも退屈だったので(笑)一緒に唱和させて頂くと 楽しいです。
ちっとも覚えられませんけれど。
母方の祖父は 毎朝仏壇でお経を唱えていました。
間違っていても 誰にも分らなかったけれど(笑)
母は 住職さんのお経を録音させて頂いて
毎朝仏壇前で 流していました(笑)
そうですか、きさらさんも唱和されるんですね。
ただ、お坊さんのお経聞くだけじゃつまらない。
やっぱり、いっしょに読経するのはいいですね。
それにしても、『住職のお経を録音して、
毎朝仏壇前で、流していました』というのはお見事。
せめて、法事の時だけ、唱和している私は、
いやに、ちっぽけに見えてきます(笑)。