桑田忠親著作集の第三巻「戦国武将(二)」の目次には、
〇 大名と御伽衆
〇 戦国武将の手紙
〇 史論史話
とあります。「大名と御伽衆」の序にはこうあります。
「 初めは・・官位部の御伽衆の項を補うくらいな軽い気持で
集めていたが、次第に面白くて罷められなくなってきた。
恩師や学友の御声援もあって、極く身内の専門雑誌に
その成果を発表したのも、随分前のことである。
それから、この御伽衆又は御伽の問題が意外に
広い社会史的背景をもっていることにも段々と気がつき・・・ 」
とあるのでした。さすがに著作集だけあって、そのあとに
『 増補新版の序 』を加えてあります。そのはじまりは、
「 日本歴史と国文学との両方面にまたがる特殊な研究の
成果といささか自負する『大名と御伽衆』を公刊して・・・ 」
うん。興味深いので第1章のはじまりを引用。
「戦国時代の大名の間に設けられた官職にはさまざまなものがあるが、
それらは、総じて、きわめて単純な制度から出来あがったすこぶる
実用本位な職業であって、実に江戸時代に於ける諸職業の淵源を
なすものであった。ここに述べようとする
御伽衆(おとぎしゅう)なども、それらに類する御伽という職業に
あった人々の総称であって、しかも、その語ることろは、
よく主君たる大名並びに将軍の見聞を拡めしめ、かたわら、
区々たる史実をも伝播するに与って力があった。
そこに特に留意すべき価値が認められるのである。・・・」(p11)
はい。私などは、ついつい子供に話して聞かせるところの、おとぎ話
しか思いつかなかったのですが、それについても、語られておりました。
「御伽噺を古典的な童話ときめてしまうのは間違いだ。
すなわち、御伽噺とは、御伽の際になされた咄であり、
それには、種々様々なものがあった。
大人向きのものもあれば、子供向きのものもあった。
大人の御伽の席で語られたのは大人向きの咄であり、
子供の御伽の席で行なわれた咄は子供向きの咄であった。
ただ、若殿相手の御伽ということが盛んになってくるに従って、
子供向きの咄、すなわち、童話というものが創作されてきた。
昔咄の中から子供向きのものを取ってきて、
童話風に創作するようになってくる。
しかし、御伽噺すなわち童話ということになったのは
もちろん、明治時代になってからのことで・・・・ 」(p175~176)
ちなみに、この「大名と御伽衆」の最後には
『 物読み法師と源氏物語 』と題する8ページほどの文がありました。
はい。最後にここから、すこし引用。
「 ・・禁裏御用の餅屋として知られる川端道喜や
堺の納屋衆出身の茶匠千利休の身辺にも、
物読み法師がいたことが知られるが、ともかく、
『 源氏読みの法師 』というのは、珍しい。 」
うん。そのあとに、源氏物語の朝顔の巻からの引用もありました。
その引用にでてくる歌を終わりに引用しておきます。
秋はてて露のまがきにむすぼゝれ
あるかきかにうつるあさがほ