和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

蝿蚊油虫蟻。

2007-03-19 | Weblog
    蚤虱馬の尿する枕もと

御存知。松尾芭蕉の「おくのほそ道」に登場する句です。
ところで、イザベラ・バード著「日本奥地紀行」(平凡社ライブラリー)のはじまりの第一信(明治11年)の最後にはこう書かれておりました。

「私は、ほんとうの日本の姿を見るために出かけたい。英国代理領事のウィルキンソン氏が昨日訪ねてきたが、とても親切だった。彼は、私の日本奥地旅行の計画を聞いて、『それはたいへん大きすぎる望みだが、英国婦人が一人旅をしても絶対に大丈夫だろう』と語った。『日本旅行で大きな障害になるのは、蚤の大群と乗る馬の貧弱なことだ』という点では、彼も他のすべての人と同じ意見であった。」(p31)

この箇所について、宮本常一著「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」(平凡社ライブラリー)では、宮本氏の指摘が参考になります。

「蚤は戦後アメリカにDDTをふりまいてもらって姿を消すまでは、どこにもすごくいたのです。私も調査に行って一番困ったのは蚤なのです。田舎へ行くほどひどくて、座敷へ上るとパッと二、三十匹とびついて来ることが多かったのです。これが日本ではごく当り前のことだったのです。そして馬の貧弱さなのですが・・・もとは皆小さい馬だったろうと思われることは、鎌倉から掘り出された、ちょうど北条氏が亡びる頃と思われる馬の骨がやはり小さいのです。すると、鎌倉の終わり頃までは日本の馬は小さかったと見てよいのではないか。・・それが江戸時代の初めから、オランダ、イギリス経由で九州へアラビア馬が入って来、それとかけ合わせることにより次第に大きくなって来る・・」(p30~33)


ここから、文藝春秋から出ている「栗林忠道 硫黄島からの手紙」について語ります。
本の後には「栗林忠道 年譜」があり。それによると栗林氏は陸軍士官学校、習志野騎兵第一五聯隊士官候補生として入隊しておりました。すこし年譜をひろってみます。

昭和3年(1928年・37歳)
三月、アメリカ留学を命ぜられる。・・
五月、ボストンに移り、ハーバード大学の聴講生として語学や米国史などを学ぶ。

昭和4年
一月、米陸軍第一騎兵師団が駐屯するテキサス州フォートブリスに移る。
軍事研究に励む傍ら、シボレーを購入、しばしばドライブに出かける。


ちなみに、この年譜がいろいろなエピソードを取り上げており、
生き生きとした栗林氏の側面を照らしだしております。北海道釧路産の栗毛の駻馬の話(p160)とか。また、山本七平氏が語るエピソードも鮮やかな印象を受けます(p168)。それは栗林中将が「連隊長の報告を聞き流しつつ、いきなり私たち見習士官の前にズカズカと来て『時計を出せ』と」言うことから、内地にいながら砲兵たちがもつ時計の誤差が六~十分あったことを一喝される場面です。



え~と。話がそれていきます。短いながら最初からたどりなおすと、
蚤虱(のみしらみ)の話から、馬へと来て、騎兵科出身の栗林忠道へと来たところでした。
栗林氏の「硫黄島からの手紙」の最初は昭和19年6月でした。
家族に島の様子を語っております。

「水は湧水は全くなく全部雨水を溜めて使います。それですから何時もああツメたい水を飲みたいなあと思いますがどうにもなりません。蚊と蝿と多い事は想像以上で全く閉口です。・・地方農民の家がソチコチにホンの少しありますが、皆牛馬の住む程度のものです。兵隊達は全部天幕露営か穴居生活です」(p9)

ここで取上げようとするのは、「蝿・蚊・油虫・蟻」を語った箇所です。
以下列挙していきます。

「汗は滝の如く流れるが清水は絶対になし。蝿と蚊は目も口もあけられぬ程押し寄せて来ます。」(p16)

「毎日、陣地を巡視して汗だくだくとなり、ああ冷い水が呑みたいなあと思っても勿論出来ません。蝿が多い事、実際に目や口の中に飛び込んで来ます。小蟻は何処でも『蟻の善光寺参り』の様で、身体中何十疋となく這い上ります。油虫と云うグロテスクの不潔虫がそれこそ一面に群集しています。只毒虫や蛇の居らないのが何よりです。」(昭和19年8月・p21)

「私は相変らず丈夫で過ごしています。昼は蝿、蟻、夜は蚊、油虫などに攻めたてられて全く閉口しています。蝿は鼻孔、目口迄飛び込むし蟻は地べた一面に居て身体中に匐(は)い上ります。蚊は思ったより少いが内地のものより毒があるらしく、刺されると迚(とて)もはれます。油虫は直接人間にはかかって来ないが持物を皆なめてしまいます。只ここには毒虫毒蛇などがいない事が何よりです。
矢張り清水のない事が何より苦痛です。雨は余り降らず一月に一遍か二遍それもほんのちょっぴりですが、それを丹念にためて置いて炊事、飲用一切に用いるのです。全くやりきれたものではありません。」(p34)

「日中は相変らずカンカン照りつけるが、朝晩は割合涼しいので助かります。年中人を苦しめている蝿や蟻は一向にへりません。油虫(皆んな見た事がないでしょう)も依然山のほどいます。全く閉口です。」(昭和19年10月・p58)

こうして時候の挨拶がわりに、蝿蚊が登場するのでした。
このくらいにして、ここでは、もう一箇所引用して終りにすることにします。

「当地は朝晩は相当涼しくなったが日中はまだ中々あつい。蝿や蚊は依然少なくならない。蝿は一寸でも追わないでいると一杯たかり、ほんとに目口にはいって来る。・・蟻だが、それこそベタ一面に居り、身体中に這い上り一寸の間に三百や五百叩きつぶさねばならぬ程で、夜寝ていても三十や五十はつぶさねばらなぬ程襲って来る。其の外に油虫と言うのが一杯で、何でもカジリちらす。・・併し毒虫や毒蛇、マラリヤ(蚊)など居ないのが何よりです。では左様なら。呉々も御身大切にして下さい。
                         戦地にて  良人
     よしゐ殿           
                             」(昭和19年11月2日・p72~73)

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