産経新聞3月21日。はい、今日の一面は
「政府は20日、首相官邸で新型コロナウイルス感染症対策本部
会合を開き、全国の小中学校などに対する春休みまでの休校要請を
延長しないことに決めた。・・・」
一面上の小さな写真は「聖火到着」。
「ギリシャで採火された東京五輪の聖火が20日、
航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)に到着した。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、到着は地元
小学生の参加をとりやめるなど、規模を縮小して実施・・」
一面真ん中へんの記事は
「米国務省は19日、新型コロナウイルスの世界的な
感染拡大を受け、すべての国・地域への渡航警戒レベルを
4段階で最も高い『渡航中止・退避勧告』(レベル4)に引き上げた。」
そして、一面コラム産経抄は、
こうはじまっておりました。
「政府は皇位継承順位1位の秋篠宮さまが、
自らの立皇嗣(りっこうし)を国の内外に宣明される
『立皇嗣の礼』の招待者を減らし、賓客と食事をともにする
『宮中饗宴の儀』は中止することを決めた。・・・」
あらためて、京の疫病と祭とを思いながら、
守屋毅著「京の芸能」(中公新書)をひらく。
「祇園会に劣らず華やかな風流の行進で知られたのが、
紫野(むらさきの)のやすらい花であった。
紫野は、長保3年(1001)疫病が蔓延して街路に
おびただしい死骸が横たわるなか、御霊会が催されたのを機に、
今宮社が造営され、以後も寛弘5年(1008)、長和5年(1016)など、
たびたびにわたって御霊会が営まれた場所であった。
その紫野今宮社の祭礼がやすらい花で、
桜花の飛散に疫病の予兆を見て、
花の安泰を祈る鎮花祭の一つであった。」(p9)
もうすこし、引用しておきます。
「・・『百錬抄』に、久寿元年(1154)4月のこととして、
『近日、京中児女、風流を備え、鼓笛を調らべて
紫野社へ参る。世にこれを夜須礼(やすらい)と号す』
とあるのが文献上の初見である。
この年のやすらい花は朝廷の関与もあって、
ことに盛大であったとみえ、『梁塵秘抄口伝集』にも、
詳しく言及されている。それによると、
花をあしらった風流傘を押し立てて数十人が乱舞し、
『やすらい花や』の今様がこだまするなかを、
鬼に扮した者が叫び暴れながら今宮社に詣でたという。
鬼を疫病神にみたてて、それを追いながら
今宮社に練り込む光景は、御霊会の特色をよく示すもので、
それは花傘を中心とする風流の伝統とともに、
今日のやすらい祭に再現されている。」(p9)
ニュースでは、上野公園の花見の宴は自粛。
明日で終りの、大相撲テレビの無観客中継の
ようななかで、上野では桜並木を見れるのでしょうか?
それにしても、鎮花祭(やすらい花)。
『桜花の飛散に疫病の予兆を見て、花の安泰を祈る鎮花祭』
という意味合いが、京都のあの時代にはあったのですね。
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