和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

房州の海岸町にいて

2024-12-04 | 安房
さてっと、未読の庄野潤三なのですが、
どれから、読んだら良いのだろうと思っておりました。

そこはそれ、お薦めの一冊『 明夫と良二 』を今日読む。
後半になって『 ざんねん 』という題の箇所が印象深く。
残りを読むのが勿体ないようなそんな気がしておりました。

そうそう。『 姉と弟 』と題する箇所のなかに
『 房州の海岸町  』というのが出てきたのでした。
兄弟で、姉のところへ行ったあとの会話でした。

「 『 和ちゃん、喜んでいたよ。帰りにこれくれた 』
 紙袋にじゃこの入ったのを、明夫は机の上に置いた。

 結婚式のあとで、房州の海岸町にいて、
 小さいころから和子を知っている井村の友人が、
 お祝いにひじきとじゃこと鰹節をどっさり送ってくれた。

 和子が、その時、
 『 海産物のお店がひらけるくらい、頂きました 』
 と井村のところに報告したくらいで、主人の家、
 世話になった仲人さんの家、井村の家と自分のところと、四軒に分けたが、 
 ひじきだけはまだ一年分くらい残っているというのであった。

 この気前のいい友達は、井村の家族が東京へ引越して来た
 その翌年の夏に、みんなで泳ぎに来るようにといって、
 彼の町から汽車でひとつ先の駅に近い、小さい宿屋を紹介してくれた。

 和子は小学校一年、明夫は三つ、良二はまだ生まれていなかった。
 その時以来、子供が夏休みになると、いつもここへ来て、
 せいぜい二晩泊りか、長くて三晩であったが、岩の窪みにいる小魚を
 つかまえたり、泳いだりして過すようになった。

 ・・・・井村の三人の子供はみな、外海に面した
 ここの浜で泳ぎを覚えたのであった。  

 『 もう和ちゃんのところ 』 
  と明夫はいった。
 『 このくらいしか、残っていなかったよ 』
  よほどいいじゃこを送ってくれたらしくて、
  井村の家族はみんな、おいしい、おいしいといいなが食べてる。・・ 」

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