和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

講座参考本⑥

2024-07-18 | 安房
武村雅之氏の本を数冊、参考文献としてあげておくことに。

たとえば、武村雅之著
「シリーズ日本の歴史災害5 手記で読む関東大震災」(古今書院・2005年)
には、こんな箇所があったのでした。

「・・10年前の阪神・淡路大震災の後に、神戸の人達が語った言葉、
『 関西には地震がないと思っていた。 』と耳にした時のことである。

 神戸の人達の山といえば六甲山である。
 神戸の美しい自然は六甲山を抜きには語れない。

 でも一方で、六甲山は震災を引き起こした地震の
 震源と同根の活断層が、何度も何度も繰り返し活動し、
 その度に高くなってきた山である。つまり
 地震が創った山なのである。
 そんなことは、神戸に限ったことではない。

 千葉県の房総半島のように、
 平らで多くの人々が暮す土地の多くが、
 関東大震災をはじめとする巨大地震が起こる度に、
 海底が隆起してきたという所もある。・・・・・・

 我々が愛する日本の自然の多くが、
 地震によって創られてきていることをみんなが
 きちんと理解しない限り地震防災は成功しない。

 つまり、地震は排除する敵ではなく、長い年月の間に
 我々が暮す場所を創ってきた共存すべき対象だ。
 我々の祖先が何度も地震の被害に遭いながらも、
 その土地に住み続けられてこられたのは
 自分達の故郷の自然を心から愛してきたからだ。

 その力を地震防災に振り向ける原動力が
 自然現象である地震への理解であり、
 地震学はそれを支えるべき学問でなければならない。 」(p66~67)


ここでは、もう一冊引用。
武村雅之著「地震と防災」(中公新書・2008年)から

「房総半島南部は空からみると、どこでも同じように
 海から段々畑のように平らな土地が続いている。

 図30はその一つ館山市見物(けんぶつ)の海岸で、
 元禄地震でできた平坦地から関東地震でできた岩棚を写した写真である。
 人がいるところが関東地震でできた岩棚で、そこでは
 人間が造ったとみられる窪みをいくつもみつけることができる。

 関東地震前には海岸すれすれにあったところで、磯釣りをする人が
 釣った魚の生簀(いけす)として掘った窪みだそうである。

 その向こうに波で見え隠れする岩棚がみえる。
 まるで次の地震で陸になる準備をしているようである。

 このように南房総では、道路や鉄道、お花畑、さらには
 人々の住む家など、暮らしのすべてが地震の際に海から
 顔を出した土地にある。 ・・・・・

 我々一人一人の歴史は、幾度となく繰り返される地震の歴史に
 比べて、はるかに短く、ときにはそのうちの一サイクルにも満たない。
 ・・・昔の人々は、そのような自然の営みを感知し、
 生活の場や美しいふるさとの風景を与えてくれる自然に
 畏敬(いけい)の念を忘れてはいなかった。

 明治、大正、昭和、平成と生活が近代化するにつれて、
 そのような意識が次第に薄れてきたようである。・・」(p219~220)


ちなみに、館山市の見物海岸といえば、
4~5年前に、ブラタモリの番組で、房総に来て寄った箇所でした。
その際に、海岸の隆起を説明の方が語ってくれており印象に残りました。






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2 コメント

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地震 (きさら)
2024-07-19 09:10:41
そうですね。
阪神淡路大震災まで
神戸には地震はないと信じていました。
当時私は40代でしたが 
初めて体感した地震でした。
神戸で生まれ育った母も そうだったと思います。

六甲山が火山ではなく
隆起でできたことは知っていましたが
それは 大昔のことで。。。
世界中が 爆発隆起だらけの時代だけのことだと
思っていました。
それまで 他の地域での 大地震のニュースは
あったのかもしれませんが 覚えていません。

こんなに あちこちで 地震が起きているのに
神戸は もう大丈夫だろう~と思っていまう
自分がコワイです。

お正月の能登の地震の時は
家族全員集合していましたが
次男が とっさに 机の下に入れ!と
言っていましたが
それが安全なのか 外に逃げた方がいいのか
あれだけの経験をしても いまだに 分かりません。
返信する
再読 (和田浦海岸)
2024-07-19 11:39:56
こんにちは。きさらさん。
コメントありがとうございます。

武村雅之著「関東大震災」(2003年)を
またひらいていたら、こんな箇所

「『・・・私は、写真を撮ることも、
 メモを書くことも忘れて、ただ
 呆然と立ち尽くした。ふと我にかえると、
 涙が頬を流れ落ちているのに気付いた。
 ・・・喉はカラカラ、水を飲むのも
 忘れてひたすら自転車のペダルをこいだ。』

 これは兵庫県南部地震の直後、
 私が被害調査のために兵庫県西宮市の
 激震地に足を踏み入れたときの衝撃を
 記した調査日記の一部である。

 このときの衝撃は、8年経った今でも
 よく覚えているが、
 もっと大きな衝撃は、激震地から
 わずか数百メートルしか離れていない
 六甲山地の山麓には、ほとんど
 被害のない地域が続いていたことだった。

 第四章で紹介した神田神保町と
 隣り合う駿河台も、このような
 状況だったのかもしれない。・・ 」(p127)

はい。今日のブログ更新も
武村雅之氏の本からはじめることにします。
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