和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

畏(おそれ)を覚えればすぐ。

2020-04-02 | 道しるべ
武漢コロナウイルスに、個々人で対するのに
咳エチケット。手洗いという呼びかけがあります。

うん。本棚からとりだしたのは、
司馬遼太郎著「この国のかたち 五」(文芸春秋)。
この第五巻は、「神道(しんとう)」からはじまります。
そのはじまりを引用。

「神道に、教祖も教義もない。
たとえばこの島々にいた古代人たちは、
地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも
底つ磐根(いわね)の大きさをおもい、奇異を感じた。

畏(おそ)れを覚えればすぐ、そのまわりを清め、
みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした。
それが、神道だった。

むろん、社殿は必要としない。社殿は、はるかな後世、
仏教が伝わってくると、それを見習ってできた風である。
三輪(みわ)の神は、山である。大和盆地の奥にある
円錐形の丘陵そのものが、古代以来、神でありつづけている。
・・・」(「神道(一)」)


「この国のかたち」は月刊雑誌「文芸春秋」の巻頭随筆
として連載されたものでした。各題のもとに本にして
8頁ほどの文が続きます。つぎに「神道(二)」の
はじまりは、こうでした。

「神道の起源は、この島々にほのかながら
社会ができてからだともいえる。
しかも、いまなお神道は生きている。
初詣、夏祭、秋祭、祇園祭、山王祭、靖国参拝、
七五三の祝い、地鎮祭、神前婚儀、月参り、
合格祈願、式年遷宮といったことばを思い浮かべればいい。」

うん。つぎは、神道(三)のはじまり

「古神道というのは、真水(まみず)のように
すっきりとして平明である。教義などはなく、
ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在(おわ)す。
例として、滝原の宮がいちばんいい。
滝原は、あまり人に知られていいない。
伊勢(三重県)にある。・・・・」

神道と題して(一)から(七)までつづいております。
ということで、あとは(七)のはじまりを引用しておわります。

「神道という用語例は、すでに八世紀の『日本書紀』にある。
シントウと澄んでよむならわしは、平安時代にはじまるという。
理由は、日本語は元来、清音をよしとしてきたという程度だったろう。
『いろはにほへと』も、すべて清音である。和歌も、
明治以前はすべて清音だけで表記されてきた。
古音は、一般に澄む。

神道に教義がないことは、すでにふれた。
ひょっとすると、神道を清音で発音する程度が
教義だったのではないか。それほど神道は多弁でなく、
沈黙がその内容にふさわしかった。

『万葉集』巻第十三の三二五三に、
『葦原の瑞穂の国は神ながら 言挙(ことあ)げせぬ国』
という歌がある。他にも類似の歌があることからみて、
言挙げせぬとは慣用句として当時ふつうに存在したにちがいない。

神(かん)ながらということばは、『神の本性にままに』という
意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。
神々は論じない。・・・・・・・

くりかえすが、川や山が、仏教や儒教のように、
論をなすことはない。
例としてあげるまでもないが、日本でもっとも古い神社
の一つである大和の三輪山は、すでにふれたように、
山そのものが神体になっている。
山が信徒にむかって法を説くはずもなく、論をなすはずもない。
三輪山はただ一瞬一瞬の嵐気(らんき)をもって、
感ずる人にだけ隠喩(メタファ)をもって示す。

日本史は中世になって多弁になる。さまざまな階層の人が、
物語や随筆や仏教論などを書くようになった。
神道までが、中世になって能弁に語りはじめたのである。
・・・・」


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