和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

手を洗う、芥川龍之介。

2020-04-24 | 詩歌
芥川龍之介といえば、
私の中学の国語教科書(?)に、トロッコという作品が
載っていたような気がします。いまは、どうなんでしょう?

はい。私はといえば、小中学生の頃から、
文といえば、4~5頁以上は読めませんでした。
したがって、短編の芥川龍之介という印象があります(笑)。

さてっと、最近の本のパラパラ読みをしていたら、
ちらりと、なにげに芥川龍之介が顔を出すのです。

たとえば、徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」
のはじまりに、登場しておりました。

「芥川龍之介の遺稿『歯車』は、一人の自殺せんとする
人間の絶望が読む者の胸を惻々(そくそく)と搏(う)つ作品である。
こちらの気が滅入っているときなど、深夜に一人ではとうてい
読み切れない。『暗夜行路』を開いた芥川が
『どのくらい僕の阿呆だったか』を感じて落涙するところなどは、
あわれというよりもおろかなりである。

それが芥川を慰めることになるかどうかは知らないが、
私はせめてもの回向(えこう)と思い、自分の本棚では
芥川全集を志賀直哉全集の隣に置いている。・・・」

はい。これは「『索引』のない社会」のはじまりの箇所でした。
次に、中村草田男の「俳人としての芥川龍之介」を読みました。

こちらは、自分を律するような潔さでもって、芥川の俳句と
切り結んでゆく読後感があります。これは要約できないので、
その最後を引用して、私は満足(笑)。

「最後に、彼の作品中、私の最も愛好する二句を挙げれば

 元日や手を洗ひをる夕ごころ

    自嘲
 水洟や鼻の先だけ暮れ残る

前者の優秀な所以は、わざわざ説明するまでもないであろう。
『夕ごころ』というような説明的な言葉が、この句の場合に
限って、いささかも邪魔にならない。・・・・・・・・」
(中村草田男「魚食ふ、飯食ふ」みすず書房・p276~299)

はい。元日や手を洗ひをる芥川龍之介。
ウイルスや、元日とはいわず手を洗ひ。
神棚へ、「祓いたまえ、清めたまえ」。





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