産経新聞2024年1月8日の、正論オピニオン欄。
平川祐弘氏が「和訳『春の朝』に神道的畏敬の念」という
見出しの文を載せております。
ちなみに、平川祐弘氏は1931年11月生まれ。現在は92歳。
ご自身の娘さんたちが、小・中学生の頃のことが語られておりました。
「 家内は昔この訳詩(「春の朝」)と原詩を三人の
小・中学生の私の娘たちに暗唱させた。私も時々和した。 」
原詩は、ロバート・ブラウニング(1812~1889)。
訳詩は、上田敏。二つ並べてみます。
時は春、 The year’s at the spring
日は朝(あした) And day’s at the morn;
朝は七時 Morning’s at seven;
片岡に露みちて、 The hill-side’s dew-pearled;
揚雲雀なのりいで、 The lark's on the wing;
蝸牛枝に這ひ、 The snail’s on the thorn:
神、そらに知ろしめす。 God's in his heavenー
すべて世は事も無し。 All’s right with the world!
この最後の行を、指摘して、
「私は自分が英詩の最終行を All’s well with the world.
と勝手に読みかえていたことに今度気がついた。
すると、
『 well の方が right のような正義の押し付けでなくていい 』
と三女が言った。
『 英詩の方の「 すべて世はこれで良し 」の
積極的強調はキリスト教のゴッドの世界だが、
訳詩の「 すべて世は事も無し 」の
天下泰平は神道の神様の世界だな 』
と私が言うと、娘もうなずいた。 」
そうして、詳しく付け足したあとに、こう指摘されております。
「 世間はうすうす感じつつ、
このような違いがあることを口にせずにきた。
何語で読むかで、詩の雰囲気が
キリスト教から神道に変わる。
近年の日本語訳の『聖書』では
jealous God がかつてのように
『 嫉妬(ねたむ)神 』でなく『 熱情の神 』と表現される。 」
うん。この文の最後には、山本七平が語られておりました。
最後は、そこの箇所も引用してしまいます。
「 大学入試に
『 jealous God について
次の三つの訳のうち一つは誤りである。
A 嫉妬する神 B ねたむ神 C 熱情の神 』
という問題を出せば、受験者の多数はCを誤りと認定するだろう。
かつて評論家、山本七平は
日本人キリスト教徒と西洋人キリスト教徒との違いにふれ、
前者は『 日本教徒のキリスト派だ 』と指摘した。
日本人の仏教徒も似たもので、
日本教徒の仏教派と指摘できることは多い。
例えば、遺体を『 仏さん 』と呼ぶ仏教圏は日本のほかにない。
霊(みたま)を尊ぶ昔ながらの日本の神道的感覚が
死後も霊が宿る遺体を大切に扱うことを求める。
仏教で一番尊い『 仏さん 』のお名前で
ご遺体を呼ぶのはその故であろう。 」
この結論に、いろいろなご意見もでるでしょうが、
なによりも、めでたいのは、今年1月そうそうに、
産経新聞で、平川祐弘氏の文が読めたということ。
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