和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

一山行盡(いっさんこうじん)。

2020-03-05 | 道しるべ
「追悼文集『一山行盡』の刊行にあたって」
という文を芳賀徹さんは書いております。
はじまりは

「この本『芳賀幸四郎追悼文集』に、
お忙しいなかからそれぞれにお心のこもった文章を
お寄せ下さった各界すべての皆さまに、
編集員の一人として心から厚く御礼申しあげます。
亡父幸四郎の霊も、『どれどれ』といって身を乗りだして
のぞきこみそうな、面白いゆたかな内容となりました。・・・・
私自身の執筆の遅滞のために、本書の刊行が亡父の三回忌
にまで遅れてしまったことを深くおわび申し上げます。」

「この文集の題名は、あれこれと考えたあげく、
幸四郎の著『禅語の茶掛・新版一行物』のなかに探って、
『一山行盡(いっさんこうじん)』といたしました。・・・・

唐の詩人の羅鄴(らぎょう・825-?)に
『行次(こうじ)』と題した詩があり、それに、

終日長程復短程  終日 長程 復た短程
一山行尽一山青   一山行き尽せば 一山青し

という句がある。この七字一行はそれに基づいた
ものである。その一通りの意味は、

ある時は宿場との距離の長い処を、
またある時はその間隔の短い街道をたどりながら、
一日中、テクテクと歩き続ける。そしてその間、
ようやく一山越えてヤレヤレと思うと、
その先きにまたさらに高い山が青々と現れる。
旅路は次から次へとはてしなく続く。
 ・・・・・・・

自分でいうのもおかしいが、私の学究生活は・・・・・・
一つの研究課題をどうやら解決したあとにでてくる
研究課題こそ、自分の独創性を発揮できる課題であった。
・・・・・・マイペースで山越えの旅をどうやら続けてきたのが、
私の人生である。そして同じことは、
禅の修行についてはもちろん、茶道・華道などの
芸道修行のすべてについてもいわれるであろう。」

このあとに、『新版一行物』下巻、平成8年5月、76~77頁
からの文を引用しておられました。そこも孫引きして
終わりにします。

「事実、学問の研究も禅の修行も、また芸道の修行も、
どこまで行っても限りがないものである。そして
それ故にこそ、やりがいがありまた楽しいのである。
『一山行き尽せば、一山青し』を禅者はこのように
解釈して、これを珍重するのである。」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 1998年6月 東京駒込曙町 芳賀徹


パラパラ読みですが、
はい。読めてよかった。


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