和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

不適切報道大賞

2024-12-09 | 書評欄拝見
ついネットで、あれこれと見ていると要約をしたくなる。
今年の流行語大賞は『 ふてほど 』なのだそうですが、
しっくりくるのは、『 不適切なテレビマスコミ報道 』
というのが一番納得感がある意味になるなあと思えます。
こういう意味合いを重ね合わせることが出来る流行語は、
貴重であります。ふところの深い味わいが感じられます。

ところで、大賞には、選考委員という方々がいる。
いったい、選考委員が選ぶに足る作品がテレビや
マスコミにない場合は、困るだろうなあとおもう。

そんな困った話をあげつらうより、これぞという作品に
めぐりあった選考委員の話を、ひとつ引用してみたい。

ということで、
庄野潤三全集第9巻の月報9。
そのはじまりは与田準一氏でした。

第2回め(昭和47年度)の赤い鳥文学賞の選考委員のひとりが
与田準一氏。ここには候補作品を読んでいる与田氏がおります。

「 ・・・庄野潤三氏の『 明夫と良二 』を読んだ私は、
  こんどの賞はこの作品だ、と思いました。
  いや、読みすすむうち、もう三分の一あたりから、
  候補作品読みといったお役め読みを忘れて、
  純粋な読書の楽しみにひたっていたというのがほんとうです。

  ・・・『 明夫と良二 』の文章は平明です。
  一見、平明です。ですが、味読には一種の咀嚼力がいります。
  それは明晰な強さを持つ文章だからです。
  明晰というのは無駄がないということです。

  ・・・このような自律的文章は、他の作品に見られなかったことでした。

  ・・・根本的には庄野さんの小説の文体と変りはない、
  いやそれそのもので庄野さんは年少読者と付き合おうとしている。
  平明だが咀嚼力がいるという、いっぱん的には
  児童少年文学作品に欠けていた要素がここにあるという、
  確信というか興奮というか、そのような不思議な時間帯のなかに、
  ときに私は立ち止まり、また移りゆく状態でした。  」


はい。何やら選考委員冥利につきる出会いがあったようです。
与田氏はさらに続けるのでした。

「 ひとつもむつかしいものがありません。
  むしろ読者私どもの忘れてかえりみずにいた日日(という不思議)が、
  私どもの内部に眠りこんでいたものと共に甦る、
  とでもいったらいいのでしょうか。
  今は、大人も子どももなべてこの退色してとどまらない
  日日の処在にじつは困っています。・・・・・      」


さらに、与田氏は、同じ選考委員の巽聖歌氏に電話をするのでした。
うん。最後には、その箇所を引用。


「 聖歌は既に承知していて、
 『 すばらしく、長い長い詩だね。 』などと応じたものでした。 」


はい。選考委員と作品との出会いというのは、そうそうあるものじゃない。
そうですよね。



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