佐伯彰一著「神道のこころ」(1988年・日本教文社)を
本棚からとりだしてくる。ちなみに、この本は、文庫もあります。
その「はしがき」には、最後に平成元年4月3日とあります。
その「はしがき」を引用することに。
「・・・・つい半年ほど前のことですが、ある女子大に招かれて、
『日本文化論』といったテーマの講演をしました。
しごく熱心な聴衆で、気持よく話すことが出来ました・・・
講演が終った後、わざわざ講師室へ幾人もの学生たちが
質問に現れました。・・・・
質問者の一人が、少しもじもじしながら、
真顔でこう言い出したのです。
『講演の中で、先生は何度かシントウといわれましたが、
シントウって一体何ですか?』
さすがに、こちらも一瞬息を呑む思いで、
相手の顔をまじまじと見つめざるを得なかった。
これは、もしかしたら・・からかいの質問だろうか?
・・・・
しかし、これはしごくまともな、生真面すぎるほど、
まっとうな質問だったと判明しました。この女子大生は、
十数年間の教育課程の中で、どうやら神道について
何一つ印象に残る話は聞かせられなかったらしいし、
自分で読んだことも一度もなかった・・・・
もしかしたら神道はほとんどタブー扱いされてきたのではないだろうか。
・・大方の戦後教育の実態だったのかもしれません。・・・
そこで、本書のモチーフのまず第一は・・・
神道の基本的な性格と在り方を、ぼくなりに明らめたい、
その際に、出来る限り、広やかな、いわば比較文化的な
視点で眺め、語ろうと心掛けました。・・・・
第二は、神道と日本文学史とのかかわりという点です。
これもじつの所、気の遠くなるほどの大テーマに違いありません・・
いわば、日本文学の底なる原型的特徴を探り、
明らめようという試みであり、この方向の仕事は、
今後もいろんな形で推し進めたいという気がしています。
・・・・・・・・・
第三に、いやじつはこれこそ本書の中心テーマかも知れないのは、
ぼく自身の神道発見、もしくは神道回帰という心情でしょう。・・
しかし、これはもともと本書一冊で片づく問題ではないでしょう。」
この『神道って何?』と聞きに来た女子大生たちは、
いまでは、50歳代なのでしょうか?
さて、この佐伯彰一氏の本は『お正月の思い出』という
4ページの文で終っておりました。そのはじまり
「六十数年のわが生涯、ふり返ってみると、
いろんな土地で、正月を迎えてきた。・・・・・・・・
子供のころは、気づかなかったけれど、山深いわが村落(芦峅寺)
の正月の迎え方には、かなり独特のものがあった。
立山信仰ということが、生活の中にしみ込んでいたせいに違いないが、
宿坊の子供たちは、大晦日の晩に、開山堂にお籠りをした。
明朝のお参りの準備など手伝うのだが、深夜の森閑としずまりかえった
お社の中というのが少々こわく、物珍しく、心おどる思いだったし、
冷えこむ寒気にそなえて、大火鉢に山もりの炭火がカンカンと燃え
さかっていた様子など、今でもありありと目に浮かぶ。
それに、一仕事片づけた後に出されたお夜食というのが、おいしかった。
炊きたてのご飯に、缶づめのかつおをまぜ合わせたお握りだったが、
ふうふういいながら、大きいのをいくつもたいらげずにいられなかった。
一たん帰宅して、早朝に起き出すと、まず井戸の若水をくんで、
神棚にそなえる。そしてすぐ神社にかけつけて、ご奉仕をする。
お参りにくる人たちにお神酒をついだり、年餅を渡したりする。
・・・・・・・・・・・・・・」
あれれっ、いつのまにか、田舎のお正月がそこまで来ている
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