Hanada2022年1月号。平川祐弘氏の自伝連載のなかに、
粕谷一希座談「書物への愛」(藤原書店・2011年)について
触れられている。なんでも、小谷野敦が名誉毀損で
粕谷・平川の座談に関連して、告訴をしたというのでした。
「敗訴でも宣伝になると思っているのだろうか。
事実、彼(小谷野)の敗訴に終わったが、それでも
勝訴したとブログの上で一旦は言い張った。
浮き沈みの激しい男であった。
野球選手の生涯打率三割維持は難しい、著作家も
学者も第一線でいつまでも筆陣を張れる人は稀である。
だが世間には小谷野に味方する若者もいた。
ネット上で、・・・平川の本を出すのはけしからん、
『平川は神道だ』『天皇崇拝だ』などとレッテルを貼る。
・・・」(P349)
はい。このあと『書物への愛』を紹介しながら、
「今度読み直し実のある対談だったと思った。
公平を期したい方は、そちらもお読み願いたい。」
はい。さっそく古本で注文し、それが昨日届く。
8名との座談が掲載されており、平川氏との対談は
65ページもあり、よみ甲斐があり、楽しめました。
いろいろなことが語られており、
こんど受賞された正論賞での受賞挨拶の内容を
もっと具体的に話されているような重量感があります。
はい。読めてよかった。
ここでは、神道についてが、対談のところどころに
出てくるので、ひろってみます。
佐伯彰一氏のことを語る箇所にもありました。
平川】 ・・佐伯さんは独自の広い世界も持っています。
海軍に行き、日米戦争の体験もある。神道の家なので
神道のこともわかっている。それから物凄い博識。
文章は、ある意味、饒舌なところもあるけれど、
それもそれで非常な魅力を持っている。(P147)
平川】 ・・・・佐伯彰一先生も、東大定年直前に、
神道のことを言い出したのですが、それまでは、
神道などタブーで、口になどしてはいけな風潮でした。
このあとに竹山道雄氏への言及がつづきます。
平川】 ・・・昭和57(1982)年のことだったと思いますが、
一緒に京都へ旅をした。竹山道雄氏は、『京都の一級品 東山遍歴』
という本を出しているくらい、京都に詳しかったのですが、
最後に下鴨神社に行って、
『やはり神社に来るとほっとしますね』と言うと、
『あなたもそう思いますか、私もそうなんです』といわれた。
要する日本人の底辺の感性は、こういう神道的なもので
できているような気がします。・・・」(P154~155)
平川】それで僕がアメリカでハーンを取り上げようとした時、
ロナルド・モースという柳田国男の研究者から、
『マリウス・ジャンセンは、宣教師の家庭の出だから、
神道や民俗学などというと、必ず嫌われるぞ』と予言されました。
・・・ハーンを研究してから本当に仲が悪くなった。・・・・
ハーンは、『宣教師というのは、神道を一番理解できない人間だ』と
書いているが、ハーンは多くの宣教師の家では禁書扱いだったらしい。
・・・明治以来、来日した西洋人学者にも、宣教師系統と、
モース、フェノロサ、ハーンといった非宣教師系統がいる。
それで、やはりいい仕事をしてるのは、どう見ても非宣教師系統です。
キリスト教以外の文明の理解という点で違うわけですね。(P175)
うん。イタリアでの体験も語っておられました。
平川】 差別というより、日本人の遠慮が大きいと思う。・・・
・・・イタリアに講演をしに行ったら、キリスト教が
日本に広まったのは善だと決めてかかっているのが大勢いて、
とりわけイエズス会の連中はたちが悪く、儒教の天とキリスト教の天は
同じだと言って宣教した。中村正直も、それならいいと思って改宗した
わけですが、『だからこそ、本当のことがわかった時、中村正直は、
最後は神道で葬式をしたんだ』と私が講演の最後でイタリア語で言った
とたんにシーンとなってしまった。『冷い風が講堂を吹き抜けた』と
在イタリアの中山悦子さんがその時の感じを伝えてくれました。
ところが活字になると、その最後の『神道で葬式をした』という
箇所が消してあったので、校正の際、
『これは大事ですから、復活してくれ』と要求したんです。
すると、ある日本人の学者から『イタリアのイエズス会のところで、
そんなことまで言っていいんですか』と言われました。
そういう遠慮があるんですね。
しかし、学問というのは、そういうところを
はっきり言うことこそ大事でしょう。・・・」(P186~188)
はい。なんだか、外国でも日本人の遠慮の陰にかくれて
神道は、活字にもならないような状況でいたようです。
いまも、そうなのかなあ。
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