京大山岳会と、今西錦司についてでは、
一般に、よく知られた言葉がありました。
『人情紙の如く薄く、団結鉄より固し』。
はい。河合隼雄氏の文『今西錦司』を読むと、
その背景が何か理解できるような気がします。
ということで、河合隼雄氏の文からの引用。
「無給講師」というキーワードもあります。
そこに触れながら、たどってゆきましょう。
「今西が自分の仕事を完成させてゆく上で・・・・
己の道を進んでゆく強さをもっていたことは大切であるが、
優れた友人知己に恵まれていたことも見逃してはならない。」
こうして身近な西堀栄三郎・四手井綱彦をあげたあとに
「今西は妹千鶴子の友人で、鹿子木孟郎画伯の娘である
園子と結婚した。1928年、今西が26歳のときである。
大学卒業後、今西は大津臨海実験所の無給講師となり、
ひたすら研究に専念することになる。その機会に父親が
買っていた下鴨の地所に家を建てて移り、西陣を離れ、
核家族生活へと切りかえる。・・・・」
(「河合隼雄著作集12」P243・以下はこの本からの引用)
「・・終戦後帰国しても、相変らず
京大動物学教室の無給講師である。・・・
後年、京大人文科学研究所の教授になったとき、
『お前は万年講師やからえらいと思っていたのに
教授になったらもう人なみや』と今西の友人で慨嘆した人が
あったらしいが、このエピソードは今西と今西を取りまく友人
の在り方をよく示している。・・・・」(p 251 )
はい。このくらいにして、
「人情薄く、団結固し」という箇所を引用してゆきます。
「たとえば、伊谷純一郎編『チンパンジー記』(1976年)に
今西が序文を寄せているが、これも序文としては型破りである。
自分の弟子たちの仕事に対して、その内容に触れながら、
なかなかよくやっているという類の序文ではなく、
今西はそこに自分自身の見解をどんどんと述べ、
伊谷と反対の意見まで遠慮なく書いてゆく。
最後の最後になって、『ここまでは、本書の内容とは
かならずしも結びつかないで、むしろ私が現在霊長類の
研究にたいしていだいている見解をのべるにもっぱらで
あったことを、ここでお断りしておきたい』と言う言葉があって、
そこから序文らしい文が書かれている。
もちろん、弟子の方も負けていずに今西をどんどん批評する。
こと学問研究に関するかぎり、お互いに容赦はしないのである。
このような点を、ある人がもちろん冗談ではあるが、
『人情紙の如く薄く、団結鉄より固し』と表現したという
エピソードがある。なかなか面白い表現である。
団結が固いだけでは駄目で、そのなかに何らかのパラドックスを
含まないと、それは創造的な集団にはなり得ないのである。」
(p255~256)
はい。絶好の水先案内人・河合隼雄氏の文を得て、
いざ、今西錦司の本へとチャレンジできそうです。
ちなみに、河合隼雄氏のこの文に
「今西錦司全集」第10巻の「私の履歴書」
「今西錦司全集」第12巻の「主体性の進化論」
「今西錦司全集」第13巻の「自然学の提唱」
などからの引用が、積み重ねられており、
全集を開く前段階。格好の『道しるべ』。
もうわたしは宝島の地図を手にした気分。
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