夏葉社『 庄野潤三の本 山の上の家 』(2018年)
の最後の方に、『年譜のかわりに』がありました。その終りに、
『 2009年、9月21日、老衰のために自宅で永眠 』(p223)とあります。
この本の最初の方には、『 庄野潤三の随筆、五つ 』とあります。
とりあえず、五つ目の随筆『 実のあるもの 私の文章作法 』を
読んでみる事にしました。こんな箇所があります。
『 いい文章は、苦労せずに話がうまいこと運んで行って、
なるほどと思っているうちに終りになり、あとにいい心持が残る。 』
(p66)
はい。ちょうど、『ザボンの花』をちょびちょびと読んでいるのですが、
これが庄野さんなりの『 いい文章 』を目指した文章なのだと合点。
この随筆のすこし前の方に、詩人がでてきます。
『 詩人の伊東静雄に『 文章 』という短文がある 』(p65)。
はい。気になって人文書院版『伊東静雄全集』をひらくことに。
はい。全一冊本です。『文章』には、詩人の視点が語られておりました。
「 ・・・通俗の達意と流暢とを欲しがる読者に気に入る筈がない。
又詩人は、他を顧みて物を言ふ現代の悪癖に染つてゐない点も
あるのである。世間の人の面白がる文章といふものには、
必ずこの悪癖が一杯してゐなければならぬ。
又詩人には教師風の懇切鄭寧さもない。・・・ 」(p242)
そうして、伊東氏のこの短文の最後には、こうありました。
『 芸術といふものは誠さへこもつてをれば、下手なほどよろしい。 』(p242)
これは、富士正晴主宰の詩誌『三人』へ、頼まれて寄せた文のようです。
なんか、この伊東氏の最後の言葉を見ていると、
庄野潤三家の3人の子供のことが、思い浮かびます。
師・伊東静雄氏が、『 下手なほどよろしい。 』という言葉を
弟子・庄野潤三は、子供たちへ、当て嵌めたのかもしれないなあ。
私といったら、そんな心持ちで『 ザボンの花 』を開いてます。
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