昨日対談本を読む。
読んだのは、曽野綾子・クライン孝子「いまを生きる覚悟」(到知出版社)。
この感想をどう整理すればよいだろうなあ。
そう思っていたら、日下公人氏の言葉が思い浮かびました。
「思考力や読解力を磨くためには、関連情報や雑情報、噂や身近な人の体験話が必要で、そうした『下地』が足りない人は、新聞や学者の話を聞いてころっとだまされてしまう。」(p54・日下公人著「思考力の磨き方」php研究所)
とりあえず、「いまを生きる覚悟」から引用してみましょう。
「・・満身創痍の被災後でも、こんなに民主主義国家の運営がよくできる国は世界にたくさんあるものじゃないでしょう。それでも『こんな日本に誰がした』と言う人もいる。この災害という不幸から何かを学ぶか、何も学ばないかは、個人の消化力にかかっているということです。」(p23・曽野)
クライン】 どん底のいいところは、無駄なものが自然淘汰されるという点でしょう?その点では、いまの日本の状況はすっきりすることができる絶好のチャンスで、決して悪いことばかりではないと思います。
曽野】 この際、どん底とはいかなるものかっていう、その一端でも垣間見ておくべきでしょう。その機会を与えられたんですから。
クライン】 実際、曽野さんや私がどん底だったあの敗戦直後のことを思い返すと、いろいろありました。結果的には、そのどん底状態から一刻も早く這い出したくて、無我夢中で生きていた人生だった感じがしますね。(p93)
このお二人が、どのように結びつくのだろう?
という、出会いにも興味があります。
「私の人生において、最もラッキーだと思っているのは、曽野さんとご縁をいただけたことです。最初のきっかけは、私がドイツから手紙を出したんですよね。一種のファンレターです。当然返事なんかもらえると思っていなかったのに、返事が来て、ものすごく感激しました。確か『ある神話の背景』という作品を読んだ直後だったと思います。」(p41・クライン)
手紙といえば、余談になりますが、
曽野綾子著「人間の基本」(新潮新書)に
「日本郵政は就職先として上位の人気企業かもしれませんが、どうして日本郵政へ行きたいのか、社外取締役の一人としては言いにくいのですが、理由が思いあたらないのです。人間が字を書かなくなった時代ですから、郵便事業が年々赤字続きなのは当然です。いつになったら郵便事業を止めるのか、誰も口にしませんが、私は『もう止めた方がいい』と思っています。」(p108)
うん。何とも刺激的なお言葉。
脱線ついでに、この対談で「手紙」が登場する箇所。
曽野】 ・・いま思い返してみると、私の母はすごい教育をしてくれたと思います。まず、私に作文教育をしました。毎週日曜日に作文を一つ書かないと遊ばせてもらえなかったのです。
クライン】 それが今日の作家・曽野綾子の原点なんですね。
曽野】 確かにそうなんですが、母が何のために私に作文教育をしたかというと、まず第一に『いい恋文を書けるように』ですって(笑)。それから『あなたがろくでもない人と結婚して、食い詰めて一家心中を考えるかもしれない。その時、最後にいい金の無心をできる手紙を書けるように』。実はその続きもあって、『食べられなくなって親子心中を考えるほど追いつめられたら、盗みなさい。ただし盗むにも場所がある。必ず見つかるところで盗みなさい。そうするとその店の人が捕まえて警察へ突き出してくれるから、警察でご飯を食べさせてもらえる』と、はっきり私にそう言いましたよ。・・・(p56~57)
曽野】 私はよく『不幸は私有財産だ』って言っているんです。(p62)
曽野】 いま、日本では人を殺すことは人生最大の失敗だということも教えません。犯罪についても、芸能人がテレビで『万引きくらいみんなしているよ』と平然と言うような感覚です。一応の規範意識を子供のころに植えつけて、それを大人になって受け入れるか拒否するかを煩悶していくことが、人生をどう生きるかという問いにつながっていくのではないかと思います。(p117)
クライン】 ・・・いきなり、帝国ホテルの人事部宛てに『採用試験があれば受けさせてください』と懇願の手紙を書いたところ、何と試験の通知が来たのです。あの時は、『えっ』っていう感じでびっくりしましたね。採用試験に受かるとは夢にも思っていませんでした・・・(p67)
曽野】 1980年代でしたが、マダガスカルに支援に行くきっかけになったんですけれども、その時手がけていた新聞の連載小説の取材のために、マダガスカルの修道会が運営していた産院を訪ねたんです。いま以上にひどく貧しい時代で、石鹸もない、紐もない、紙もない、薬包紙すらないんです。私が出した手紙をシスターがとっておいて、十センチ四方くらいに切って、それに薬を包んで渡していたような時代です。(p109~110)
曽野】 私もいろいろ尊敬する人はいますけれど、忘れられない人と言えば、子供の時におっぱいをもらったおばあちゃん。・・・・
ばーばちゃんは小学校をやっと出たくらいで、平仮名交じりの下手くそな字で手紙を書いてくるような人ですからね。でも、本当にすばらしく肝のすわった人だった。(p166~168)
対談本の最後は曽野さんの言葉でおわっておりました。
それを引用しましょ。
「この時代に、この人生はいまの自分しか生きられません。そういう覚悟をもって、老いも若きも、人のせいにせず、自立して生きることが、『人生の大原則』です。これまでも、この先も、ずっとこの原則は変わらないと思っています。」(p229)
読んだのは、曽野綾子・クライン孝子「いまを生きる覚悟」(到知出版社)。
この感想をどう整理すればよいだろうなあ。
そう思っていたら、日下公人氏の言葉が思い浮かびました。
「思考力や読解力を磨くためには、関連情報や雑情報、噂や身近な人の体験話が必要で、そうした『下地』が足りない人は、新聞や学者の話を聞いてころっとだまされてしまう。」(p54・日下公人著「思考力の磨き方」php研究所)
とりあえず、「いまを生きる覚悟」から引用してみましょう。
「・・満身創痍の被災後でも、こんなに民主主義国家の運営がよくできる国は世界にたくさんあるものじゃないでしょう。それでも『こんな日本に誰がした』と言う人もいる。この災害という不幸から何かを学ぶか、何も学ばないかは、個人の消化力にかかっているということです。」(p23・曽野)
クライン】 どん底のいいところは、無駄なものが自然淘汰されるという点でしょう?その点では、いまの日本の状況はすっきりすることができる絶好のチャンスで、決して悪いことばかりではないと思います。
曽野】 この際、どん底とはいかなるものかっていう、その一端でも垣間見ておくべきでしょう。その機会を与えられたんですから。
クライン】 実際、曽野さんや私がどん底だったあの敗戦直後のことを思い返すと、いろいろありました。結果的には、そのどん底状態から一刻も早く這い出したくて、無我夢中で生きていた人生だった感じがしますね。(p93)
このお二人が、どのように結びつくのだろう?
という、出会いにも興味があります。
「私の人生において、最もラッキーだと思っているのは、曽野さんとご縁をいただけたことです。最初のきっかけは、私がドイツから手紙を出したんですよね。一種のファンレターです。当然返事なんかもらえると思っていなかったのに、返事が来て、ものすごく感激しました。確か『ある神話の背景』という作品を読んだ直後だったと思います。」(p41・クライン)
手紙といえば、余談になりますが、
曽野綾子著「人間の基本」(新潮新書)に
「日本郵政は就職先として上位の人気企業かもしれませんが、どうして日本郵政へ行きたいのか、社外取締役の一人としては言いにくいのですが、理由が思いあたらないのです。人間が字を書かなくなった時代ですから、郵便事業が年々赤字続きなのは当然です。いつになったら郵便事業を止めるのか、誰も口にしませんが、私は『もう止めた方がいい』と思っています。」(p108)
うん。何とも刺激的なお言葉。
脱線ついでに、この対談で「手紙」が登場する箇所。
曽野】 ・・いま思い返してみると、私の母はすごい教育をしてくれたと思います。まず、私に作文教育をしました。毎週日曜日に作文を一つ書かないと遊ばせてもらえなかったのです。
クライン】 それが今日の作家・曽野綾子の原点なんですね。
曽野】 確かにそうなんですが、母が何のために私に作文教育をしたかというと、まず第一に『いい恋文を書けるように』ですって(笑)。それから『あなたがろくでもない人と結婚して、食い詰めて一家心中を考えるかもしれない。その時、最後にいい金の無心をできる手紙を書けるように』。実はその続きもあって、『食べられなくなって親子心中を考えるほど追いつめられたら、盗みなさい。ただし盗むにも場所がある。必ず見つかるところで盗みなさい。そうするとその店の人が捕まえて警察へ突き出してくれるから、警察でご飯を食べさせてもらえる』と、はっきり私にそう言いましたよ。・・・(p56~57)
曽野】 私はよく『不幸は私有財産だ』って言っているんです。(p62)
曽野】 いま、日本では人を殺すことは人生最大の失敗だということも教えません。犯罪についても、芸能人がテレビで『万引きくらいみんなしているよ』と平然と言うような感覚です。一応の規範意識を子供のころに植えつけて、それを大人になって受け入れるか拒否するかを煩悶していくことが、人生をどう生きるかという問いにつながっていくのではないかと思います。(p117)
クライン】 ・・・いきなり、帝国ホテルの人事部宛てに『採用試験があれば受けさせてください』と懇願の手紙を書いたところ、何と試験の通知が来たのです。あの時は、『えっ』っていう感じでびっくりしましたね。採用試験に受かるとは夢にも思っていませんでした・・・(p67)
曽野】 1980年代でしたが、マダガスカルに支援に行くきっかけになったんですけれども、その時手がけていた新聞の連載小説の取材のために、マダガスカルの修道会が運営していた産院を訪ねたんです。いま以上にひどく貧しい時代で、石鹸もない、紐もない、紙もない、薬包紙すらないんです。私が出した手紙をシスターがとっておいて、十センチ四方くらいに切って、それに薬を包んで渡していたような時代です。(p109~110)
曽野】 私もいろいろ尊敬する人はいますけれど、忘れられない人と言えば、子供の時におっぱいをもらったおばあちゃん。・・・・
ばーばちゃんは小学校をやっと出たくらいで、平仮名交じりの下手くそな字で手紙を書いてくるような人ですからね。でも、本当にすばらしく肝のすわった人だった。(p166~168)
対談本の最後は曽野さんの言葉でおわっておりました。
それを引用しましょ。
「この時代に、この人生はいまの自分しか生きられません。そういう覚悟をもって、老いも若きも、人のせいにせず、自立して生きることが、『人生の大原則』です。これまでも、この先も、ずっとこの原則は変わらないと思っています。」(p229)
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