和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

炎暑之候、御病体如何。

2021-08-19 | 手紙
漱石といえば、手紙。そう教えてくれたのは、
出久根達郎著「漱石先生の手紙」(NHK出版・2001年)。

うん。それから夏目漱石の手紙を読もうと思ったのは
我ながらよかったのですが、けっきょく読まず仕舞い。

岩波文庫の「漱石・子規往復書簡集」も
買ったのですが、読まずに本棚に置かれたままでした。
はい。この機会にちょっとひらいてみます。

明治22年8月3日
   牛込区喜久井町一番地 夏目金之助より
   松山市湊町四丁目十六番戸 正岡子規へ

そのはじまりは

「炎暑之候、御病体如何・・・・
 
 近頃の熱さでは無病息災のやからですら胃病か脳病、
 脚気、腹下シなど様々・・・・

 必ず療養専一摂生大事と勉強して女の子の泣かぬやう
 余計な御世話ながら願上候。
 さて悪口は休題としていよいよ本文に取り掛かりますれば
 ・・・・・・・・」

はい。これは時候の挨拶だけ引用して、
次に、9月15日の正岡子規への手紙は

「・・・・貴兄漸々御快方の由何よりの事と存候。
小生も房州より上下二総を経歴し、去月30日始めて帰京仕候。

その後早速一書を呈するつもりに御座候処、
既に御出京に間もあるまじと存じ、日々延頸(くびをながく)
して御待申上候処、御手紙の趣きにては今一ヶ月も御滞在の由
随分御のんきの事と存候。

しかし此に少々不都合の事有之(これあり)。
両三日前小生学校へ参り点数など取調べ候処、
大兄三学期の和漢文の点及ビ同学期ならびに同学年の体操の点
無之(これなき)がため試験未済の部に編入致をり候が、
右は如何なる儀にて欠点と相成をり候哉。

もし欠点が至当なら始業後二週間中に受験願差出すはずニ御座候間、
右の間に合ふやう御帰京可然(しかるべく)と存候。・・・・・・・

小生も今度は・・ぶらぶらと暮し過し申候。
帰京後は余り徒然のあまり一篇の紀行ような妙な書を製造仕候。
貴兄の斧正(ふせい)を乞はんと楽みをり候。

先は用事のみ。・・なるべくはやく御帰りなさいよ。さよなら。」


うん。子規の落第の心配をする漱石の手紙。
落第といえば、寺田寅彦と漱石が結びつく。

ということで、寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」
のはじまりを最後に引用。

「熊本第五高等学校在中、第二学年の学年試験の終ったころ
のことである。同県学生のうちで試験を『しくじったらしい』
二、三人のために、それぞれの受け持ちの先生方の私宅を歴訪して、

いわゆる『点をもらう』ための運動委員が選ばれたときに、
自分も幸か不幸かその一員にされてしまった。

その時に夏目先生の英語をしくじったというのが自分の親類
つづきの男で、それが家が貧しくて人から学資の支給を受けていたので、
もしや落第すると、それきりその支給を断たれる恐れがあったのである。

初めてたずねた先生の家は白川の河畔で、藤崎神社の近くの閑静な町で
あった。『点をもらいに』来る生徒には断然玄関払いを食わせる先生も
あったが、夏目先生は平気で快く会ってくれた。

そうして委細の泣き言の陳述を黙って聴いてくれたが、
もちろん点をくれるともくれないとも言われるはずはなかった。

とにかくこの重大な委員の使命を果たしたあとでの雑談の末に、
自分は『俳句とは一体どんなものですか』という、
余にも愚劣なる質問を持ち出した。

それは、かねてから先生が俳人として有名なことを承知
していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ
発酵しかけていたからである。」
(P142岩波少年文庫「科学と科学者のはなし・寺田寅彦エッセイ集」)

寅彦のエッセイは、ここからが本題にはいるのですが、
とりあえず、落第の話題はここまででした。





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2 コメント

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Unknown (びこ)
2021-08-19 16:50:06
私の郷里の物理学者、寺田寅彦まで出てきて興味津々です。
返信する
高橋新吉 (和田浦海岸)
2021-08-21 00:33:16
こんにちは。びこさん。

つぎは残暑見舞いがてら、
愛媛県出身の高橋新吉の
詩を引用してみることに。
返信する

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