和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

今年の十五夜は。

2016-09-15 | 地域
昼間は曇っていて、時々雨。
それでも、こちらでは、
夜も8時半を過ぎると、
雲間から月が出て、
きれいな月夜となりました。
え~と。
誰が指摘したのでしたっけ。
「愛してます」というのを
夏目漱石は、
日本では、「月がきれですね」
というんだと指摘したのは。

それはそうと。

万葉集の案内を読むと、
月の見方が、かわります(笑)。

たとえば、
古橋信孝・森朝男「残したい日本語」に
「月の名」と題した文が最後の方にある。

そこから、チラリと引用してみることに。

「月には特別な力があると考えられていた。
・・・・昼は人の時間帯、夜は神の時間帯と
いう住み分けが成立した。
しかし、恋愛は夜にするものだった。
ではどのようにして外出できたのだろうか。
『万葉集』の歌をみていると、

闇夜(やみ)ならばうべも来まさじ
 梅の花咲ける月夜に出でまさじとや
      (巻八・1452)
(闇夜なら来ないのもうなずけます。
梅の花が咲いているのが美しく見える
月夜にいらっしゃらないなんて)

というような歌が多くあり、
月の出ている夜は恋人が訪ねて来るものだったとわかる。
・・・・
このようにして、恋人は月の出を待ち、
逢い引きをすることができたことがわかる。
・・・・・
月の出を待ち焦がれているうちに夜が更けてしまった
という歌がある。・・・これは恋人の訪れを待って
いるのである。そうしているうちに月が出たが
恋人が来ないで、夜が更けてしまったという意味の
歌としか考えられない。
この『いさよふ月』が十六日の夜を『いざよひ』と
呼ばせるようになった。
恋人を待っている気持ちがそうさせたのである。
満月の翌日、昨夜の充実した夜の記憶がある
と思うのがいいだろう。
十六夜を『いざよひ』ということは、
十七夜の月を立待ちの月、
十八夜の月を居待ちの月、
十九日の月を寝待ちの月というように
連続して名があることと繋がっていると想定させる。
庭に出て早く来ないかと立って待っているのが十七の月、
来ないので縁先で座って待っているのが十八夜の月、
そして諦めかかって寝て待っているのが十九夜の月
というようになる。
つまり、これらの名がついている月の名は
恋愛からできた言い方ではないかと思われるのである。」
(p180~182)


はい。
2016年9月15日の十五夜は、色っぽい。
万葉集の歴史に彩られて見える(笑)。

ちなみに、
古橋信孝著「雨夜の逢引」(大修館書店)の
はじまりは「月夜の逢引」という文でした。

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