和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

長寿の賀会。病中見舞い。

2021-04-18 | 本棚並べ
以前、杉本秀太郎の本を読もうと思い。
何冊か買ってあったのに、買った後で、
興味は、そそくさと他へと移り未読本
のまま本棚にありました。

それが、この頃になって読み頃を迎えました。
まずは、めでたい。以前に買った本のなかに、
「杉本秀太郎文粋」(筑摩書房・1996年)の、
第1巻目がありました。新刊購入でしたので、もう
25年も前になります。うん。そのとき読めなかった。
読んでもスジを追うだけで精一杯だったと思います。
それがいまなら、楽しめる。

さてっと、その時に買ってあった本に
杉本秀太郎著「太田垣蓮月」(小澤書店・昭和57年)が
ありました。こちらも未読のままでした。
「太田垣蓮月」の、第四章は「蓮月と鉄斎」とある。
うん。第四章をパラリとひらいてみる。

ちなみに、
「宗達、光琳、鉄斎は、いずれも生まれつき京都の市井の人である。」
(杉本秀太郎著「見る悦び」p18)とある。

まずは、京都の市井の人をイメージしながら
第四章をひらいてみました。

「・・そういう経路で盛んになったものに
長壽の賀會がある。人びとが相集って、
一人の人の長寿を祝う歌を詠じる。
そういう面では、これは歌会というものの変形である。
・・・・
また、長寿を祝うもう一つの形として、
文人雅客の書画の寄書き帖を人のもとに贈る
ことも盛んであった。」(p202)

ページを、さきに急いでp210に、こんな箇所がありました。

「めでたい歌のついでに、鉄斎がむれ亀を描いたのに
蓮月が画賛して詠じた歌があるので引いておきたい。
・・・『亀あまたかけるかたに』と詞書があり、
四、五句が『とりつどへつつ君をかぞへん』となっている。
かたは絵のこと。いろぞよは、漢字で書けば萬世である。


  むれがめのひとつひとつの
      いろぞよをかきあつめつつ君ぞかぞへん


画賛をした蓮月は『七十七』と書付けているので、
合作の年は慶應三年(1867年)であり、鉄斎は32歳である。
この画は、神光院の月心和尚の病中見舞にと、蓮月が頼んで
描かせたもののようで、鉄斎あての手紙に、蓮月は次のように
報じている。月心は恢復し、四年ののち明治三年、71歳で歿した。

『 此間はかめの御画御したため被下、
 月心隠居様大におおいによろこび、
 まづかりにかけおき、くるほどの人に
 ふいちやう(吹聴)して、この人おやに孝行にて、
 とうじ(当時)ならびなき好人物、
 おもしろしおもしろしと日々をたのしみ、・・・・
   ・・・・
 かめのてい(態)むふんべつ(無分別)に見へて、
 ことの外おもしろく候よし、日々たのしみ病気も
 おひおひ快方に候』


このときの亀の画を、幸野楳嶺が明治7年に描いた
『丁稚女中遊戯図』と見くらべると、二つは同じ構図に依拠して
いるのがよく分かる。構図は百兒文(ひゃくじもん)のヴァリアントで、
圓山派の手持ちの図柄である。群衆をむれがめに置換したところに
鉄斎の発明があった。無邪気な発明である。だが、みずからの画技が
精神と歩調を合わせて熟するにつれ、鉄斎はありとあらゆる粉本を
この無邪気な発明の力によって一新し、
晩年のあのおそるべき独創を実現する。」(p210~211)


どうやら、この本。
宝の持ち腐れとならずにすみました。





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