「安房郡の関東大震災」をテーマに、記録をひらいていると、
津波の誤情報があったことがわかります。
うん。今なら、地震があったら津波とすぐに思い浮かべるわけですが、
地震が頻発するたびに、津波情報が多発されるとどうなるのか。
余震が多発するさいに、津波情報も多発されればどうなるのか。
そういうことを実際に思うに際し、歴史的な関東大震災の場合、
安房の記録が語る当時の地域歴史の輪郭が浮き彫りになります。
「・・当時食糧不足、暴徒襲来、海嘯(津波)起るの
流言蜚語至る處に喧伝され人々の不安は今から考へれば
悲壮の極みであった。・・・ 」
( p894 「大正大震災の回顧と其の復興」上巻 )
ここで注意したいのは、流言蜚語の中には
『海嘯起る』もはいっていることなのです。
その不安は、こう表現されておりました。
「 余震は頻々(ひんぴん)として来り、
海嘯の噂は頻々として起り、
不逞漢襲来の叫は頻々として伝へられ、
人心は不安と恐怖とに襲はれて殆んど生きた心地もなく、
平静の気合は求めようとして求められず唯想像力のみ
高潮して戦々兢々として居た時であった。 」
こうして、当時の館山町役場報には、震災の翌日の9月2日夕刻に
『戒めの語り草』として、津浪襲来の噂を勘違いして
「町全体は混沌として名状すべからざる状態に陥ってしまった」
という記述があり、そのしめくくりには、こうあるのでした。
「毎年9月1日の震災記念日には、何時も老若男女の戒めの語り草として
永遠に云ひ伝らるべき悲惨な珍話となっている。 」
( p771~773 「大正大震災の回顧と其の復興」上巻 )
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